HeavenlySchoolDays-01 |
※オフ本の臨也と帝人が同い年の学パロの続きです。 お昼も目前の四時限目。 もうすぐ昼食にありつけるはずだったのに、それを反故する破壊音に、クラスの一同はうんざりした表情を隠せなかった。 その原因は、来神高校の名物戦争コンビ。学校側の責任放棄と言っていい程いい加減なクラス割りにより、最強と最凶が同級生となってしまった。夏休みを終え、新たな学期迎えても彼らの仲は改善することなく、こうして時折授業が中断されていた。 「臨也くんよぉ、何度、自分の席に戻れっつったらわかるんだ?アァ?」 倒れた机を踏みつけながら低く唸ったのは、平和島静雄だ。彼は、その常人離れした怪力で、最強の名を欲しいままにしている。しかし、本人は暴力を嫌い、平穏に日々を過ごしたいと願っているのだ。けれど、こうして喧嘩と言う名の破壊行為に至る。その原因が、目の前の切れ長の目をした美少年。彼は、皮肉げに口角を上げて静雄と対峙している。しかし、その深紅の眼は、苛立たしげに細められていて、彼の機嫌が底辺であることを示している。 「しつこいなぁ、俺はね、ちゃーんと先生の許可貰ってここにいるんだよ。羨ましいからって僻まないでくれる?ホント迷惑」 臨也の言葉に、静雄の何かがブチリと切れる音が聞こえた、と、クラスメイトは錯覚した。 「いいぃぃぃざああぁぁやああぁぁ!」 机を投げてくるのを舌打ちをして躱す。直後、ガラスが割れる音、金属がぶつかり合う音、思わず身を竦めるような騒音が響く。 教師も止めることを諦めているのか、生徒たちを避難させる側に回っている。そして、教師を含め、救いの視線を集める人物がいた。その人物は、轟音響く中、大人しく席に座っていた。その姿は普通でありながら異常だ。この状態で落ち着いていられるということは、相当肝が据わっている。それとも怖いもの知らずなだけなのか。 「帝人、帝人、君の出番じゃないかな?」 明らかに静かな怒りを抱えた少年に、平気で話しかける人物、岸谷新羅は、それはそれは面白そうに少年の肩を叩いた。折原臨也、平和島静雄までとは行かないが、それでも十分奇特な部類に入る彼の言葉に、帝人と呼ばれた少年は、ふぅ、とため息を吐いた。 「・・・僕はね、今、凄く焦ってるの」 「うん?」 帝人の言葉に、笑顔のまま首を傾げて先を促す。 「だってさ、このクラス授業遅れてるじゃない?だから、わざわざ夏期講習も多めに出て来たんだよ?」 「そうだねぇ」 「でも一人で他のクラスみたいに授業内容進めても、結局はまたクラスのペースな訳じゃない?」 「うん」 彼らが会話している間も、その背後で破壊音が続く。周りのクラスも避難を始めたみたいで、廊下が騒がしくなってきていた。 「だからさぁ・・・うるっさいんだよ!臨也!静雄!」 「うわっ!」 静かに話をしていた帝人が、突然キレて、傍に転がっていた椅子の破片を臨也の方へ投げつけた。勿論、臨也は気がついて咄嗟に避ける。 「危ないじゃん!酷いよ帝人君!」 「酷いのはどっちだよ!止めてよ!臨也も静雄も!」 「だ、だって、帝人、コイツ、」 先程までの剣幕はどこへ行ったのか。あの喧嘩人形がしょぼんと怒られた犬のように帝人を見た。けれど、帝人も引かない。 「だってじゃない!いい加減にして!池袋出身の君たちと違って、成績落ちたら埼玉に戻んなきゃいけないんだから!そんなに僕を追い出したいわけ!?」 「許さないよ、そんなの」 「いやだ!」 同時に大きく首を振る二人に、「じゃあ、静かにして。授業中断しないで」と諭す。真剣な表情で頷く二人に「片付けて!」と指示すると、なんと、あの折原臨也と平和島静雄がすんなりと言うことを聞いて倒れた机や椅子を元に戻し始めたではないか。廊下から様子を窺っていた生徒、教師からは感嘆の声と拍手が控えめに贈られた。 「いやー、ますます猛獣使いに磨きが掛かってるね」 新羅の言葉に周囲はこれ以上刺激してくれるなと震撼したが、帝人は「馬鹿なこと言ってないで手伝って」とぴしゃりと言った。 結局、掃除をする折原臨也と平和島静雄を刺激したくなくて、他の生徒たちは四人が清掃を終えるまで、待機するしか出来なかったのであった。 + + + 「文化祭?」 あれから、結局昼食を食べ損ね、放課後になってから遅めのお昼を屋上で摂っている時、帝人の言葉に静雄が首を傾げた。 「聴いてなかったのかい?帝人が何やるか考えておいてって、この間のホームルームで言ってたじゃないか」 最強と最凶とつるんではいるが、典型的優等生の帝人は、推薦されて学級委員長を務めている。新学期が始まってすぐに実力テストと文化祭について説明をしていた。ちなみに、学級委員長に抜擢されたのは、臨也と静雄と関わる前だ。しかし、その判断は正解だったと、彼らを服従させる姿を見て教師たちが頷いていることは、当然帝人の知るところではない。 「・・・悪ぃ」 素直に頭を下げる静雄に、「別にいいよ」と少しだけぶっきらぼうに言う帝人。 「静雄寝てるのわかってたから」 「起こしてくれれば良かっただろ」 「だって寝起きの静雄、手癖悪いんだもん。やだよ、またネクタイ千切られたら困るし」 しゅんとする静雄を、帝人の隣に陣取っていた臨也が馬鹿にしたように鼻で笑った。 「ばっかだねぇ、シズちゃんは。俺だったら綺麗に帝人君の手首縛っちゃうよ」 「意味がわからない。気持ちが悪い。ルート3点」 冷たく言ってずりずりと移動して臨也との距離を取り直す。「冷たい!」と嘆く臨也が追うようにずりずりと移動するさまを見て、新羅がケラケラと笑った。 「君たちは本当、懲りないねぇ。あんなことがあっても、全然進歩しないんだから」 「・・・うるさい」 新羅の言葉に、臨也は苦虫を噛み潰したような顔になった。帝人は「進歩ってなんだよ」と膨れっ面をしながらパックのカフェオレを吸った。 新羅の言う「あんなこと」があったのは、夏休み前まで遡る。 足を滑らせて階段から落ちた帝人は、平行世界の帝人と精神が入れ替わってしまったのだ。最初は頭を打って記憶が混乱しているのだろうと、帝人自身も思っていたのだが、向こうの世界の年上である折原臨也が、それを突き止めたのだ。そして、紆余曲折あって、再び元に戻ることが出来たのだが、その間、どちらの臨也も別世界の帝人に対して最低な態度を取り、それぞれにトラウマを残してくれたのだ。 臨也があまり話したがらないから詳しくはわからないが、あちらの世界の帝人が倒れるまで精神圧迫させたとか。こちらも気絶するほど身体圧迫されて、折原臨也はどんな世界でも折原臨也であると、知りたくもない事実を確認をさせられたのだ。 完全に他人事の新羅の言葉に、臨也はいーっと年甲斐なく歯を見せた。 「いいの!俺たちはゆーっくり歩み寄っていくんだから。向こうのスレた奴らと一緒にしないでよね!」 「歩み寄らないし、近寄らないで」 ぴしゃりと言えば、臨也がしくしくと泣くフリをしてみせる。この光景は帝人が入れ替わる前と変わらない、はずだが、彼らを面白おかしく観察していた新羅は、おや、と内心首を傾げた。 いつも通り、ツンケンした態度の帝人だが、僅かに耳が赤い。そう言えば、最近、帝人は臨也と、まともに顔を合わせて会話をしていない気がする。ただ単に冷たくあしらっているだけだと思っていたが、もしかしたら、目を合わせられないのではないかと思い当たる。 (へぇ?) 「何」 にやにやといやらしい視線を向けてくる新羅に気がついた帝人が、不審そうに眉を寄せて睨んだ。 「進歩していないわけではないんだね」 「は?意味がわからないんだけど」 「いいよ。知らないっぷりしておきなよ。うんうん、そういう時期もあるさ」 「・・・・・。」 帝人の機嫌が更に悪化する前に、新羅は「それより、文化祭のことだろ?」と白々しく話を逸らした。帝人はムスッとしたままだったが、ため息を吐いて、気を取り直した。 「何をやりたいかちゃんと考えておいてよ?」 「出し物か・・・」 「はいはいはいはい!」 元気よく手を挙げる臨也に、嫌な予感がして眉間に皺を寄せたが、一応「何やりたいの?」と訊ねてやると臨也は実にいい笑顔で言った。 「女装メイド喫茶!」 「却下」 「何で!」 「コア過ぎる」 帝人に冷たく一蹴されたが、臨也は「何でぇーやろーよぉー」とまだ食いついている。 「メイドかぁ。それは是非セルティに着て貰いたいなぁ。ああ、でもセルティは王女の貫禄だからね!やっぱドレスがいいなぁ!」 「新羅、戻っておいで」 「俺もやだ。女装したくねぇ」 「静雄の女装・・・」 「な、なんだよ。いやだぞ」 ジッと帝人に見つめられてたじろぐ。しかし、帝人の隣の臨也が「ちょっとぉー!」と乱暴に体当たりをしてきて、帝人の膝を占拠した。 「浮気良くない!」 「臨也、意味わかんない。日本語しゃべって」 「俺の方が似合う!きっと惚れ直すよ!」 「惚れ直す前に惚れてないんじゃないかい?」 「うるさいなぁ!俺は今、帝人君と話してるの!」 「惚れ直す前に惚れてないよ」 「酷い!冷たい!改めて言わないでよ!」 喚く臨也を、嫌そうな顔でぐいぐいと膝から追い出そうとするが中々しぶとい。力では臨也に敵わないのだと思い知らされ、悔しくて、頭をバチンと叩いてやったが、結局、臨也は帝人の膝に寝転んだままだ。 「ねぇねぇ、竜ヶ峰メイドになろうよ!」 「しつこいなぁ!僕の名前、馬鹿にしてんの!?臨也が一人で女装してればいいでしょ!折原メイド也!」 「ご奉仕するにゃん?」 「うざい!」 「まぁまぁ、落ち着きなよ。とりあえずはクラス全体の意見が必要だろ?」 「・・・そうだね」 帝人は諦めたように大きくため息を吐き、残していたヨーグルトに手を伸ばした。膝の上がまだ重いが、もう構う気力もない。 しかし、帝人は気づけないでいた。 膝の上の最凶が、新羅の言葉を聞いて、実に悪い笑みを浮かべていたことを。 「・・・おい、臨也」 静雄が低く呼べば、臨也は一瞬にして笑みを消す。 「何」 「帝人に迷惑掛けんなよ」 「うるさいなぁ」 鬱陶しそうにして、臨也は膝枕するようにごろんと仰向けになった。途端に、バチンと顔面を掌で叩かれ、「いったい!」と悲鳴を上げる。 「調子に乗らない」 「・・・ちぇ、」 渋々と退く臨也。その正面の新羅は、面白そうにその様子を見ていた。 「調子に乗らない、ね」 新羅のからかうような声に、帝人がやけ気味に飲み干したパックを新羅に投げつけた。 + + + 数日後、予定通り、クラスの出し物を話し合った。 しかし、あっさりとただの『喫茶店』に落ち着いて、帝人は驚いた。あんなに「メイド喫茶がいい」と駄々を捏ねていた臨也も普通の喫茶店に一票入れていた。あまりにも不審すぎて、「メイドじゃないよ?」と確認してしまった。 (まあ、でも、そもそも女装見たいとか言ってたのがおかしいんだし、) きっと、自分の発言のおかしさに気がついたのだろう。男子の女装なんか見て何が楽しいのか。 とにかく、決まったとなれば早く段取りを整えなければならない。喫茶店らしく、コーヒーや紅茶、デザートや軽食を提供する予定だ。当然、手を加えるものも提供するのだから、クラス全員検査も必要なので、希望書類を提出しなければならないし、また、仕入先も探さなければならない。普通の喫茶とはいえ、統一感を出すためにエプロンは自分たちで作ることになっている。当然、デザイン的なものは帝人には無理であるから、そこら辺は女子たちに頼み、男子は看板やらセットやらの大道具を担当する。それから呼び込み用のチラシも必要だし、と、皆の意見を取り入れながらやることの多さに思わずため息が出る。 (でも、やるしかないしな) 一応、学級委員長としてすべての買出しに付き合った。自分だけで済むならそれでいいのだが、テーブルクロスやらエプロンやらは数人の男女で行った。勿論、男は荷物持ちだ。学級委員長を務めているとはいえ、あまり積極的に交流する方ではない帝人にとっては、臨也たち以外のクラスメイトとこうやって出かける機会は少ない。毒のない会話に、少し安心すると同時に、物足りなさを感じているのは、正直気のせいと思いたい。 (業務用スーパーに発注と配達依頼は済んでるし、検査も出してるから後は先生の指示に従えばいいし、あー、あと、エプロンとかの進行具合と大道具、) 時間はあったはずなのに、いつの間にか二週間後に迫った文化祭に、少し疲弊を感じていた。 買出しに付き合い、自然とご飯を食べて帰る流れになって財布が圧迫される。そして仕方なくバイトを増やす。お陰で、最近二時間ほどしか睡眠が摂れていない。酷い時は徹夜明けのまま学校だ。 そして、今は当日のタイムテーブルの確認で、一人教室に居残りである。人数配分は大まかに話し合いしてあったので、後は細かな時間とどこで出るかの希望を整理しなければいけない。 正直、寝不足の脳には非常に酷である。フラフラとする頭を押さえながら今にも寝てしまいそうなのを堪えていると、コトン、と何かが置かれる音がして顔を上げる。机に栄養ドリンクが置かれていた。 「お疲れだね?」 「臨也・・・」 前の席の椅子に座った臨也を、ぼんやりと見た。最近、昼食も一緒に摂れていないし、帰りも別だから、なんだか凄い久しぶりな気がする。非常に不本意だが、嬉しくて顔がにやけそうになるのを必死で堪える。 「何か、久しぶりにしゃべった気がするねぇ」 臨也も同じことを考えていたらしい。小さく笑って「そうだね」と同意する。 「頑張ってるね」 「そりゃ学級委員長だから」 「もうちょっと人に仕事振っちゃえばいいじゃん」 やっぱり、自分が手伝うって言ってくれないんだな、と、帝人は苦笑した。 「そうだね。でも結構お願いしてると思うよ?僕がやってるのは先生に提出しなきゃいけないものと、買出しの付き合いだよ」 「あとあれもだろ?仕入れ」 「ああ、そうだったね」 大変だった、と、小さくため息を吐く帝人に、臨也が「俺に任せてくれれば良かったのに」と言った。思わず苦笑する。 「なら先に言ってよ。遅いってば」 「・・・・。」 「何?」 「あ、ごめん。いや、そんなあっさり言ってくれるとは思ってなかったから、」 「なにそれ?」 「・・・俺ってもしかして、意外と信頼されてる?」 「はぁ?」 帝人が意味がわからないと眉を寄せると、「だから」と気まずそうに言葉を続ける。 「だって、まったく別の物買われたらどうしようとか」 「あー、そうだね、やっぱ君には任せない」 「ひどっ!」 いつも通り拗ねる臨也に、クスクスと笑う。こんなやりとりも久しぶりだ。不満そうにしていた臨也だったが、やがて、少しだけ眉尻を下げて自分の目元を指す。 「目の下、隈で来てるよ」 「あー」 ごしごしと目元を擦る帝人の腕を「やめなよ」と臨也が掴んで止めさせる。 「擦っても取れないんだから。眼、傷つける」 「あ、うん」 素直な帝人に、臨也は小さくため息を吐いて、今度は頭を撫でた。さすがに、ぼんやりしてるとはいえ、帝人はムッとした表情になった。 「何」 「少し寝ちゃえば?起こしてあげるから」 「でも、これやっちゃわないと」 明日にはクラスに知らせたい。そのためには今日終わらせて先生に提出しておかなければいけないのだ。 「三十分でも寝れば頭すっきりするよ。今のままやるのはあまり得策じゃない気がしない?」 「・・・・。」 「寝ちゃいなよ」 とびきり優しくて、殆んど聞いたこともないような猫なで声。いつもの帝人なら「気持ち悪い」と言って手を叩き落としてやるところだが、その声は実に耳に心地いいもので、限界寸前帝人は素直に重い瞼を下げた。 「・・・三十分、」 「はいはい」 ずるずると机にうつ伏せると、早くも意識が白む。そんな中、臨也はずっと帝人の短い髪を梳いていた。男の髪なんて触って、何が楽しいのか、しかし、気持ちよくて、帝人は甘えるようにその手に頭を自ら摺り寄せた。半分寝かけているせいで、自分が何をしたかもわかっていない帝人は、手の持ち主が息を詰めたのに気づいていない。驚いて手が止まり、不満そうに薄っすらとそのブルーブラックの目を開く。 「いざや、」 もっとやれと責めるような声で呼べば、大きくため息を吐くのが聞こえて、再び手が髪を梳き始めた。今度こそ、満足そうに笑って帝人は寝息を立て始めた。 「・・・本当、君は酷いヤツだよね」 その気がありそうなのに、一向に絆されない。でも、今みたいに甘えてくる。最初は面白がっていたが、この間あった事件も相まって、臨也は少し焦りを感じ始めていた。 早く、自分のものにしてしまいたい。いくらだって抱きしめるし、キスしたい。自分に夢中になればいい。 早く、早く。 熱を孕んだため息を大きく吐いて、まろい輪郭を撫でる。 「ま、でも、もう少し位は君のペースに合わせてあげてもいいよ」 そう一人で呟き、ポケットから携帯電話を取り出す。こちらは手はず通り進んでいる。あと二週間。実に順調だ。起こさないように笑いを堪えるが、かみ殺しきれず、笑い声が僅かに漏れる。しかし、完全に眠りに落ちている帝人は起きる様子はない。 「楽しみだなぁ」 その『楽しみ』が、帝人に大きな怒りを抱かせることはわかっていたが、その関係性すら危機に瀕することを、臨也は予測できていなかった。 何でも許してもらえると思ったら大間違いだということを、臨也は身を持って知ることになる。 + + + 「じゃあ、机はこの形状に並べてください。クロスは汚れたら困りますから当日で」 文化祭前々日、皆に配った配置図を元に指示をしていく。疲労は変わらず取れなかったが、帝人は疲れた素振りを見せずに皆に声掛けをしていた。 あの日、起きたら臨也はいなかった。起こしてくれればいいのに、と、腹を立てたが、書類を見て驚いた。人数配置が出来ていたのだ。少し丸みを帯びた文字は、間違いなく臨也のもので。確認をして問題もなかったので、そのまま使わせてもらうことにした。臨也にお礼のメールを送ったが、「どういたしまして」という素っ気無い一文だけが返って来た。けれど、頬が緩む。 それから、臨也の貰ったドリンクを飲んで、その夜もバイトに励んだ。凄く馬鹿だとは思うが、その瓶は洗って取ってある。集中力が薄れる度にそれを見て自分を叱咤した。 臨也には感謝している。けれど、その本人はいない。まったく、やる気があるのかないのか。 静雄と新羅は皆に混じって作業をしていた。しかし、忙しい帝人に話しかけてくることは殆んどなかった。 すっかり自分の周りの環境が変わってしまったが、それも文化祭までだ。ここで自分が踏ん張れば、またあの面子でうるさくやれるのだ。 しかし、大道具を担当する男子から受けた報告に帝人は思わず眉間に皺を寄せる。 「看板が出来てない?」 ぴりぴりとした声に、男子は少しだけ身を竦めた。 「どんなのにするかとっくに決めてあったよね?それに、途中で確認した時、大丈夫って言ってたよね?」 「ご、ごめん」 「明後日だよ?」 「・・・すいません」 項垂れた男子生徒に、帝人ははぁ、と息を吐いた。駄目だ、感情的になってはいけない。 「・・・わかった、君は他の人たちとセッティング進めて」 「え、看板は・・・、」 「僕が作る」 そう言った途端、少しだけ教室内の視線が集まる。何かおかしなことを言っただろうか?帝人は首を傾げた。 「何?」 「い、いや、別に」 「じゃあ取り掛かって。材料はどこにあるの?」 「それが、他のに使っちゃって」 「足りないんだったら、早く言いなよ、もう」 肩を落とした帝人に、男子生徒はもう一度「ごめん」と頭を下げた。「いいよ」と言って帝人は鞄を取りに行く。 「あ、エプロンはどう?僕、全部は確認してないんだけど平気?」 歩きがけに女子に話しかけると一瞬間を置いてから彼女たちはコクコクと頷いた。不自然な様子に、まさか、と、目を瞬く。 「え?大丈夫だよね?」 「大丈夫だよ!明日持ってくるから!」 「そう?よろしくね」 「う、うん」 首を傾げながらも、鞄を背負って教室の出口に向かう。 「少し出かけてくるから。書類の通りよろしくね」 皆の返事を聞きながらドアを開けると、調度入って来ようとしていた臨也に打つかってよろける。 「わっ、なんだよ」 「あ、ごめんごめん。何?お出かけ?」 サボっていたというのに、まったく悪びれもしない臨也に、帝人は少しムッとした表情になる。 「足りないもの買いにね。っていうか、どこ行ってたんだよ」 「俺がいなくて寂しかった?」 「はぁ!?馬鹿じゃないの!怒られてるのがわかんないわけ!?ていうか邪魔!退きなよ!」 寂しい訳じゃないけど、気にはなっていた。けれど、言い当てられたような気分になった帝人は、何故か頬が熱くなり、乱暴に臨也を押し退けた。臨也が帝人の顔を見てポンと手を叩いた。 「そうだ、そのまま今日は帰っちゃえば?」 「は?何で?」 「だって、目の下の隈、凄いことになってるよ?どうせ放課後なんだから」 「っ!」 擦るのを堪えて目元を押さえる。臨也は苦笑した。 「これの通りにやればいいんだろ?」 そう言ってひらひらとプリントと見せる臨也に、帝人は首を振る。 「そんな無責任なこと出来ない」 「君、無理しすぎなんだよ。ちゃんと寝てしっかり本番に備えてもらわなきゃ駄目だろ。そんな隈拵えて接客するの?」 「・・・・。」 「ねー、学級委員長帰って寝た方がいいと思う人ー!」 突然の臨也の掛け声に、クラス内は一瞬シンとしたが、もう一度「いいよね?」と念を押すと皆がコクコクと頷いた。 「先生、竜ヶ峰君帰しちゃっていいですよね?」 「・・・あぁ、疲れているみたいだから、早めに帰りなさい」 教師の言葉を受けて、臨也が不敵な笑みで「だって?」と肩を上げてみせた。 「・・・言わせてない?」 「失礼だなぁ。俺はね、君を心配してんだけど?」 「そうだよ、帰っちゃいなよ」 突然加わってきたのは新羅だった。臨也と変わらない調子に、帝人は肩を竦める。 「新羅まで、」 「僕だって心配くらいするよ。ますます細くなったみたいだし」 「う、うるさいな!」 「ほらほら、医者志望もそう言ってることだし。君には万全な状態で挑んでもらわないと、皆困るからね」 最もな言葉だが、どこか引っかかるところを感じる。しかし、問い詰めようにも、今の眠気で働かない脳では新羅と臨也にすぐに丸め込まれてしまうに違いない。 帝人は諦めたようにため息を吐いて「じゃあ、そのまま上がらせて頂きます」と言って教室を出た。 (・・・とにかく、看板、今日中に仕上げないと) 前日までにすべてを終わらせて、当日を万全で迎えたい。 ふらつく足を叱咤しながら、帝人はホームセンターへと向かったのだった。 + + + 人に指摘されると、余計に疲れを自覚するというもので。 帝人は臨也に言われた通り、そのまま帰宅することにした。材料を持って赤信号を渡りそうになり、隣にいた人に止められたのだ。これはまずいとさすがに判断し、何とか無事に家にたどり着くことができた。 しかし、このまま寝たら看板は絶対に出来ない。眠い目を擦り、栄養ドリンクと不眠ドリンクを飲んで何とか堪える。 (・・・そういえば、学校は大丈夫かな) 携帯を見れば、既に夜の八時だ。明日もあるのだから、恐らく皆帰っているだろう。 (臨也、ちゃんとやったかな・・・) 多分、やる時はちゃんとやるヤツだが、そのやる時に先程が含まれていたかと思うと、怪しいものだ。クラス内の様子も少し変だったし。 「・・・・馬鹿か、僕は」 何故こんなに疑心暗鬼になっているのかわからない。疑う理由も根拠も何もないのに。強いて言えば、現在、自分が看板を作っているからだろうか。ちゃんとやっているのであれば、自分はあのままクラス内に残り、臨也も戻ってきて一緒に作業をしていたはずだ。 と、そこまで考えて、ハタ、と気づく。 (な、なんで、臨也と一緒に作業、って、) まるで、臨也と一緒にいたかったみたいだ、と、考えて、頭をフルフルと左右に振る。しかし、寝不足の所為でくらくらとして暫く動けなくなってしまう。 「なに、やってんだ」 情けなくて涙が出そうだ。そんなことを考えて誤魔化そうとするが、けれど、臨也のことが頭から離れない。 「うそ、だろ」 違う。何かの間違い。臨也がふざけて自分に絡んでくるから、柄にもないことを考えてしまっているだけ。そう言い聞かせて、落ち着かせるように息を吐く。 とにかく、どうだったか様子を電話して確かめてしまえば、何の懸念もなく作業に没頭できるはずだ。そう自分に言い聞かせて、帝人は臨也に電話を掛けた。 (ちがう、臨也の声、聴きたいから、とか、じゃない。断じて) 心の中で言い訳をしていると、すぐにコール音から臨也の声に変わった。 『もしもし、どうしたの?』 「あ、ごめん、今、平気?」 理由のわからない緊張に駆られていたが、普通に声が出せてホッとする。 『大丈夫だけど』 「ありがと・・・今日はごめんね」 『別に平気だよ。皆、ちゃんとやってくれてたし』 「本当?良かった。ちょっと気になって」 『大丈夫だよ、心配しないで。君こそ、ちゃんと寝なよ?』 「だといいけど」 笑いながら言うと、臨也が真剣な声で『駄目』と言った。 『ちゃんと寝て』 「べ、別に平気だって」 『大丈夫、明日は大してやることないくらい進んでるし。ね?君が心配なんだ』 「っ、」 臨也の甘やかすみたいな甘ったるい声。いつもだったら、「うるさい」とか「気持ち悪いなぁ」などと言って一蹴するのに、何故か詰まって言葉が出てこない。しかも、顔が熱いのは、どういうことだ。何もしゃべらない帝人を不思議そうに臨也が呼ぶ。 『帝人君?』 「な、なんでもない!大丈夫!えっと、状況訊きたかっただけだから!ごめん!ありがと!」 『えっ?ちょっと、』 「おやすみ!」 叫んで臨也の言葉も待たずに通話を切った。 「・・・な、なんなんだよ」 それは突然切られた臨也のセリフだろうが、帝人は心底意味がわからなかった。 なんで、いきなり、こんな臨也を意識しているのか。 「・・・・馬鹿らし」 考えるのが億劫になった帝人は、まだまだ冷めない頬の熱を持て余しながら、仕方なく看板作りを再開する。ぼんやりしていたって勝手に看板が出来てくれるわけではないのだ。 きっと、寝不足だからおかしいんだ。早くこれを終わらせて臨也が言ったように寝よう。 そう考えて、帝人はふらふらとしながら看板を作り、誤って指を傷つけたり、手に油性マジックがついてしまったりと、散々だった。しかし、何とか空が白む前に完成し、寝る時間が確保できたが、横になると何故かまた臨也のことを考えてしまって、眠いのに、寝つきが悪く、結局、あまり寝ることが出来なかったのであった。 + + + 学園祭前日。 浮き足立つ生徒たちに混じって、景気の悪い顔で登校して来た帝人は呆然とした。 「なにこれ」 帝人の一切の感情の含まれない声を聴いたクラスメイトたちは、思わず身を竦めた。しかし、その原因である折原臨也は、自信に満ちた顔で帝人を迎えた。 「どう?凄いでしょ?」 自慢げな言葉の通り、教室は見事なカフェへと変貌を遂げていた。確かに催し物は喫茶店だった。しかし、こんな本格的な西洋風なものは予定していない。カーテンは体育館に使われているような重厚なそれに変えられ、椅子やテーブルは学校の備品ではなくまるで本当の喫茶店で使われているような物が並び、壁紙すら張り替えられている。どう考えても、一クラスの予算ではない。 「ねぇ、計画書と違うよね」 今にも飛び掛りたい気持ちを抑え、帝人は今自分にできる限界の冷静な声で臨也に問う。柄にもなく、臨也までも浮かれているのか、帝人の様子には気づかず、まるで悪戯っ子のように笑って堂々と頷いて見せた。 「そうだよ。君に内緒で進めたメイド・執事喫茶!どう?中々の出来でしょ?」 「・・・・。」 「あ、心配しないで。申請はちゃーんと俺が済ませてあるし!」 帝人が目を細めると、臨也がクリアファイルに挟められていた一枚のコピー紙を取り出した。渡されて目を通すと、ますます帝人の顔が無表情になっていく。 「ね?俺凄くない?こんなに予算貰えるんだよ!お陰で帝人君のメイド服作れました!」 きゃはっと笑って取り出したのは、黒を基調にしたレースたっぷりのメイド服。エスコートするように恭しくメイド服の袖を持ってみせた。 「ああ、サイズは間違いないよ!俺の情報に間違いはないしね!どうどう?これにニーソ履くと絶対領域が出来るんだよ!そこまで抜かりなく計算済み!あっ、そうそう、メニューもメイド喫茶らしくしてみたよ。ホラ、可愛いでしょ?こうやってオムライスにハート書いてあげるんだよ。ホラ、上手く写真撮れてるでしょ?本物みたいじゃない?ねぇねぇ、持ってみてよ、帝人君?」 「・・・・・。」 そこでようやく帝人の様子がおかしいことに気がつく。怒られることは当然予測していた。臨也は媚を売るような甘い声で「ごめんね」と謝る。 「ほら、帝人君のこと驚かせたくって。それに、どうしてもメイド見たいし」 「・・・・。」 「あのね、俺とペアなんだよ?俺はこっち。執事ね。どう?似合うでしょ?」 「・・・・。」 「店番終わったらこれで一緒に回ろうね?何食べたい?どこ行きたい?どこにでも付き合うよ?」 「・・・・。」 「ごめんね、吃驚させすぎちゃった?お詫びに奢ってあげるから。ね?」 帝人君?と、何が悪いかわからない、といった顔で首を傾げる。帝人は反射的にメニューを投げつけそうになったが、すべての理性を総動員して、近くのテーブルに投げ置くので留めた。しかし、乾いた音がやけに響き、動向を見守っていた皆が首を竦める。 「食材は?先方と話もつけてあるんだけど」 「ああ、それは俺が後から変更させてもらったよ。今見せたメニューにね」 「じゃあ、昨日僕が作ったメニュー用看板は」 「内容違うから使えないね。ごめんね」 担当していたはずの男子生徒を一瞥すると、彼は傍目でもわかる程大きく肩を揺らしていた。 「エプロンは?」 「君に見せた男女一着ずつしか作ってないよ。ホラ、あれ、メイドっぽくも執事っぽくもないじゃない?」 「・・・僕だけなの」 「え?」 「僕だけ、知らなかったのかって訊いてるの」 「え?あ、まぁ、帝人君専用サプライズだし」 俯いた帝人の顔を覗きこむように顔を寄せた臨也の胸を、帝人は思いっきり突き飛ばした。力の差があるとはいえ、突然のことに後ろへよろめく。 「信じらんない」 「帝人君?」 いつもの、臨也を諌める時とは比べ物にならないほど冷たい声に、ごめんねと先程よりも少し慌てた様子で謝る臨也に、帝人は皮肉げに笑った。 「面白かった?僕騙して。ああ、君の目論見通り吃驚もしてるし怒ってもいるよ。なんせ、僕の一ヶ月はまったくの無駄だったんだからね!」 そう言って自分が作ってきた看板を床に叩きつける。女子生徒の悲鳴が上がった。 「サプライズってのはさ、いい方向に使う言葉だよ。こんなのがサプライズなわけあるかよ!」 自分で作ったものを思いっきり踏みつけながら、臨也を睨み上げると、彼は何故か面白いほど動揺しているようだった。 「何でそんな顔してんの?それ、僕の方だろ?」 「落ち着きなよ」 「クラス全員に嫌がらせされたのに?っていうか、予算とか計画書絡んでるんだったら、先生もだよね。皆で一生徒を苛めですか。へぇ、そうか」 「別にそんなつもりじゃないって」 「あ、そっか、臨也、僕の席欲しがってたもんね。いいよ。もう。好きにすれば?」 「はぁ?違うっつってんだろ」 下手(したて)に出ていた臨也だったが、すぐに短気が姿を現す。しかし、鋭い赤眼に怯まず、帝人は鼻で笑った。 「何?逆ギレ?一番キレたいの僕なんだけど。こっちは寝不足で作業したっていうのにさぁ、」 教室内を見回すと、誰もが気まずげに視線を逸らした。あまりにも惨めで、ぎり、と歯を食いしばる。 「っていうかさ、やってらんない。こんなクラス御免だよ。僕、もう降りる」 「ちょっ、待ちなよ!」 臨也が肩に手を掛けようとしたが、帝人が力いっぱい振り払った。乾いた音が響く。 「僕に触るな」 「っ、」 臨也が息を呑むのが伝わってきた。 馬鹿みたいだ。本当。ただ、踊らされていただけなのに。臨也のこと、気になったりして。ただ、何も知らなかっただけだというのに。 「君なんか大っ嫌いだ」 「あれ?出し物ってこんなだったっけ?」 「君は本当何にもやらなかったからねぇ」 遅れて入って来た静雄と新羅の声を切っ掛けに、帝人は弾かれたように走り出した。 「おい、帝人!?」 驚いた静雄の声が掛けられたが、構わず廊下を走った。 (もうやだ、しんじらんない、やだ、きらい) 情けないって、わかっているのに。高校生になってまでって、思うのに。帝人は、溢れ出す涙が止められなかった。 先生に何度か怒られながら、何とか辿り着いた屋上。帝人は肩で息を吐きながら、フラフラとフェンスその傍にへたり込む。いつも、皆で昼食を摂っている場所だ。顔を歪めたが、もう一度立ち上がる気力もなく、そのままごろんと丸くなった。 苛々と寝不足で体力の限界だ。少しここで休もう。 「・・・どうせ、僕なんかいたっていなくたって変わんないし、」 あまりにも子供染みたセリフに、呟いた自分でも情けなくてぽろぽろと再び涙を零す。 とにかく、少し寝れば少し冷静になれるはずだ。それでも、臨也のことを許せる気がしないけど。 「・・・ばか、あほ、しね、」 目を瞑れば、あっという間に眠りへと落ちた。 ********************************************************** まずは前半です。 2011/11/13 ブラウザバックでお願いします。 |