続・いざや兄さんとみかどくん03




「帝人!」

 呼び止められて、緩慢な動きで振り返ると、正臣が驚いた顔で駆け寄ってきていた。
「お前、大丈夫か!?階段から落ちて頭打ったって、」
「うん。大丈夫だよ。母さんが大げさでさ。本当は次の日には学校以降と思ってたんだけど」
 母の目の前で気絶した所為もあってか、一週間も休まされてしまった。お陰で退屈で仕方なかったと漏らすと、正臣ははぁ、とため息をついた。
「そりゃ、おばさんも心配だろうよ。もう平気なのか?」
「平気」
 短く答えて下駄箱を少しだけ緊張して開けたが、今日は何も仕掛けられてなかった。ほう、と息をつく。

 あの日から、臨也は一切竜ヶ峰家には現れなかった。
 それとは対照的に、九瑠璃と舞流はいつも以上に帝人の部屋に足を運び、あれやこれやと世話を焼いてくれた。彼女らの気遣いを嬉しく思う一方、彼女らの赤目を見る度に、彼女らの兄を思い出し、胸が苦しくなった。

 廊下を歩いていると、ぞろぞろと女子生徒がこちらに向かってきた。反射的に帝人は顔を強張らせる。
 けれど、その中心に、先日別れを告げられたひとを見つけて、帝人は瞠目した。
「臨也さん・・・」
 ぽつりと呟かれた言葉。それが届いたのかどうかはわからないが、臨也がちらりとこちらを見た。けれど、一瞥しただけで、すぐに視線を外された。
 苦しくて、ぎゅうっと、胸の辺りを掴む。
「何だ、アイツ」
 さっさとすれ違ってしまった臨也を振り返りながら、正臣が悪態をつく。
「つーか、アイツどうしたんだよ。こんな時支えるのが恋人だろ」
 正臣の言葉に、ビクリと肩を揺らす。
「帝人?」
「・・・別れた」
「は!?」
 驚いた正臣に、帝人は笑おうとしたが、失敗してしまった。
「僕、馬鹿だから、いらないって、」
 語尾が震えてしまって、気を持ち直すように、帝人はごしごしと目を擦った。
「・・・アイツ、そんなこと言ったのか」
「っ!」
 何を話してるんだと、帝人は我に返って、慌てて首を振った。
「ごめん、違うんだ」
「違わないだろ!殴ってくる!」
「駄目だって!正臣!ごめん!違うんだ!」
「放せ!」

「何やってるんだい?君たち」
 ひょいっと顔を出したのは、臨也の同級生である新羅だ。
「新羅さん!」
 久しぶりに見る顔に、帝人はホッと息をつく。
「災難だったねえ。臨也も気が立っててめんどくさいよ」
「はぁ?被害者の帝人にあんな態度とって何が、」
「んーまあ、僕から言ったら刺されちゃうからね。帝人君、ちょっと良いかい?」
「えぇ、でも、これから授業・・・・、」
「先生には俺から言っといてあげるから」
 躊躇っていた帝人だが、やがて、こくりと頷いた。
「わかりました」
「おい、いいのかよ。その人、臨也さんの仲間だろ?」
「心外だね!一括りにしないでくれないかな!」
 にこっと寒気のする笑顔を向けられ、正臣は気圧されたように目を瞬いた。帝人も苦笑する。
「新羅先輩は被害者だよ」
「同じクラスでない君にはわからないだろうねぇ。アイツは回避不可能なんだよ」
「出来れば知りたくないっすね」
「賢明な判断だ。じゃあ、まあ行こうか」
「はい」
「帝人は病み上がりなんです。無理はさせないで下さい」
「わかってるよ。これでも医者志望だからね」
 そう言って手を振って正臣と別れた。

「まあ、察しはついてると思うけど、君は生徒会をお役御免になった」
 生徒会室について紅茶を入れてくれた新羅の言葉に、帝人はカップをぎゅっと握った。
「・・・理由は、聞いてますか?」
「ああ、聞いているよ。アイツは悪事にはやたら頭が回るくせに時々馬鹿やるからね」
「馬鹿は僕だそうですよ」
 自嘲気味に笑えば、新羅は肩を竦めて見せた。
「君は、もう臨也のことはどうでもいいのかい?」
「僕がどうでもいいんじゃなくて、臨也さんがどうでもいいんですよ」
「あんまり責任転嫁すぎる言い方は良くないな。こうなった原因は君にもある。もっと率直に答えられないのかい」
 新羅の目は、真っ直ぐ帝人を見つめていた。
「僕は・・・」
 必要だと、今更気づいた。傍にいたいと、離れてから気づいた。
 これでは前と同じだ。大切な兄を失って、今度は、恋人を失おうとしている。
「僕は・・・、離れたくない」
 はっきりとしたブルーブラックの瞳で、真っ直ぐ新羅を見返した。
 新羅がふと表情を和らげた。
「いいね。そういう野心的な表情は嫌いじゃないよ。恋する少年にいいものをあげよう」
「こ、恋するって、」
 揶揄に顔を赤らめながら、新羅がポケットから取り出した小瓶に帝人は釘付けになった。
「なんですか?」
「痺れ薬」
「はっ!?」
 なんてこと内容に言う新羅に呆然とする。
「僕は医者希望だって言ったでしょ」
「いやでも、なんで痺れ薬・・・」
「これ飲ませて、動けないうちに臨也をモノにすればいいんだよ」
「モノ!?」
「なんだい?そこまで具体的に言わせる気かい?」
「・・・結構です」
 小さく首を振ると、新羅はうんうんと頷いた。
「有効に使うといいよ」
「あの、法に触れません?」
「触れたらやらないの?」
「・・・・。」
 少し躊躇った帝人だったが、やがて、帝人は決心したように頷いた。
「頂きます」
「ま、上手く使いなよ」
 笑った新羅が「そうそう」と付け足した。
「昼間、僕たちはここに来るつもりはないから。臨也だけだよ」
「・・・ありがとうございます」
「どういたしまして」
「でも、なんでそんなに良くしてくれるんですか?」
 帝人が窺いながら新羅に尋ねると、目を瞬いた新羅は実に良い笑顔で言った。

「臨也の感情全部が君に向けば、楽だから」
「・・・。」

 やっぱり、臨也の友達だと、しみじみ感じた帝人であった。




***




臨也はすれ違う生徒たちに笑顔を振りまいていたが、生徒会室に入った途端、ムスッと不機嫌丸出しの表情になった。
 苛々する。その原因は勿論わかりきっている。
 けれど、椅子に座っている人物を認めて、それは驚きへと変わった。
「帝人君?」
 名前を呼ぶと、帝人が随分思いつめたような表情でこちらを見た。思わず手を伸ばしてしまいたくなるのを堪える。
「何でここにいるの。新羅から話を聞いてないの?」
「聞きましたよ」
「じゃあなんで、」
 帝人が出してくれたお茶に口を付ける。息を吐いてから臨也はなるべく冷たい声で言った。
「君のいるべき場所じゃないでしょ。帰りなよ」
「嫌です」
「嫌とかじゃないんだよ。何でわからないかな」
 はぁ、と、頬杖をつこうとして、腕に違和感を感じた。震えて、上手く動かない。
(なんだ?)
 腕だけではない。足にも痺れを感じる。
「本当に効くんですね」
 目だけを動かせば、帝人が席を立ってこっちに歩いてくるところだった。
「み、かどくん?」
「大体無責任だと思いません?人を散々引っ掻き回しておいて、今更さよならって、どんだけ自己中なんですか」
 そう言って、臨也の肩を強めに押すと、臨也はソファに倒れ込んだ。起き上がろうにも痺れがまだ続き、帝人がのしかかってきた所為で、触れたところが熱くなる。
 見上げた帝人の顔は、どこか挑発的で、臨也は初めて見る帝人の表情にぞくりとして口角を上げた。
「へぇ、それで、俺をどうするのかな?」
「・・・貴方は、どうやって僕を束縛しました?」
「んー、既成事実、かな?」
「二番煎じと言うのはいささかひっかかりますが、そっくりお返ししてあげます」
 くす、と笑った帝人が、そっと臨也に唇を寄せる。久しぶりに触れる臨也に、身体が震える。
 満足して、身を起こそうとしたが、その瞬間、後頭部を強く抑えられて、口づけが深くなる。驚いて目を見開けば、間近には欲を燈した深紅の瞳。
「ん、んん・・・」
 臨也の厚い舌が口内に侵入して、帝人を容赦なく犯す。すべてを奪われるようなキスに、帝人は胸を叩いて抵抗したが、がっちりと頭も身体も押さえられ、臨也にされるがままだ。
「ん、ゃ」
 息継ぎの合間に逃げるように顔を背けるが、強引に戻され、何度も何度も噛み付くようにキスをされる。

「はぅ・・・ん、」
 すっかりとろとろになって解放されたころには、腰が立たず、臨也にその身を完全に預けた。臨也の手が思わしげに腰を撫でるのに、「ん、」と甘い声で反応してしまう。
「・・・本当、君には負けるよ」
 久しぶりに聞いた臨也の甘ったるい声に、帝人がそろりと視線をやると、声と同様、まるで砂糖菓子のような甘い視線で帝人を見つめていた。耳が赤くなった帝人に、ちゅ、ともう一度触れるだけの口付けを贈る。
「俺が、本当に君を放すと思う?」
「ふぇ?」
 熱に浮かされた思考では、臨也の言っていることが良くわからない。
「害虫駆除が終わるまでは、と思ってね」
「っ!」
 ようやく言わんとしているところを理解し、帝人は瞠目した。
「じゃぁ、」
「もちろん。あれは演技」
 もし盗聴器が仕掛けられてたら困るからね、と、にやりと笑う臨也は、いつも通りの悪い顔だった。ホッとした帝人は、そのまま臨也の胸に頭を預けた。
「・・・なんで、知ってたんですか?」
「君が階段から落ちた時、傍にいた人が突き落とされたみたいだと教えてくれたんだ。うちの女子だってのはわかったんだけど、特定するまで時間が掛かっちゃってね」
 ごめんね、と、眉尻を下げて謝ったかと思うと、臨也はすっと目を細めて怒りを露にした。
「本当は今日中に決着つく予定だったんだ。明日になったら君を迎えに行くつもりだったんだけど、一日早く登校しちゃったんだね」
「だって、臨也さんが気になって、」
「ん、自覚は、出来たみたいだね」
 頭を撫でれば、帝人は幼い頃のように素直に擦り寄ってきた。その愛らしい姿に、品の良い唇が弧を描く。
「ねぇ、俺が好き?」
「・・・・好きです」
「だよね、薬盛るくらいに」
 一瞬バツの悪そうな顔をしたが、帝人はそういえばと目を瞬いた。
「もう平気なんですか?」
「うん。すぐに取れたよ。新羅も中々良い仕事するじゃない」
 その言葉に、帝人はどこか違和感を覚えて、臨也を見上げた。ジッと見つめると臨也は実に良い笑顔。頬を赤らめたが、誤魔化される帝人ではない。
「臨也さん、もしかして、」
 ふふ、と笑う臨也は壮絶な笑みで。
「頭の良い子は好きだよ」
「っ!」


 その後、帝人の怒鳴り声が生徒会室から響いたのは言うまでもない。





 きっと、僕は飽きられるまで、あなたの手の中。
 それでも、自ら望んで捉えられる。
 願わくば、一秒でもあなたが僕に飽きる瞬間が先でありますように。
 最愛の、お兄さんへ。


[おわり]




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なんとか両思いになれました!ありがとうございました! 2011/04/03

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