続・いざや兄さんとみかどくん01 |
竜ヶ峰帝人は、どちらかというと寝起きがいいほうだ。アラームがなる前に起きることも多い。 今日も目覚めて時計を確認してみれば、予定より三十分も早かった。 なら、もう少し寝よう。 もそもそと布団にもぐり直す。寝起きのふわふわした気分でぼんやりしていると、一階から話し声が聞こえた。女性の声は母親だろう。男性の声は。父は、朝早いので、もう家を出ているはずだ。ならば、誰だ? ひとりが思い当たり、寝起き独特の浮遊感は一気に墜落した。 (起きたくない・・・) 嫌になっていもむしのようにぎゅうと布団を強く引き寄せて潜り込んでいると、階段を上がってくる足音が聞こえた。間もなく、そっとドアが開けられた。近寄ってくる足音に、思わず息を潜める。布団越しに、僅かに笑う空気が伝わってきた。 「帝人君、起きて」 「・・・・。」 耳に心地よいテノール。甘い声を掛けられ、帝人は頬に熱が集まるのを感じたが、認めたくなかった。 嫌だ。まだ時間はあるはずだ。何で起きなければならないのか。 無視を決め込んでいると、布団に手を置かれたようで、その感覚にどきりとする。 「帝人君。早く君の顔を見たいんだ。ね?起きて?」 (馬鹿じゃないの!) 歯の浮くようなセリフ、女子でもあるまいし、そんな言葉、聞くものか。けれど、相手もなかなかしつこくて、今度はまるで撫でるように触れてくる。起こすだけではなさそうな、何かの意図を持ったその手に、帝人はぞくりとする。 (もおお!なんなんだよぉ!やめてぇぇ) けれど、声に出さないその言葉は相手には伝わらず、それに、もし口にしたとしても相手が聞く気がまったくしない。根気よく布団を撫で回す(そこにも余計変態臭さを感じるわけだが)手に、ついに帝人の我慢の限界は超えて、その手を跳ね飛ばすように飛び起きた。 「うっとうしいです!」 「あ、おはよう。やっと起きてくれたね、帝人君」 寝起きとは思えないはっきりとしたブルーブラックに睨まれたお隣の家の長男、折原臨也は、にっこりと人好きする笑顔を帝人に向けた。 「恋人に向かって酷いなあ。俺はただ今日一番最初に君の目に映るのが自分でありたいだけだよ」 「っ!」 なんでこうも歯の浮く・・・浮くどころではない。きっと全部飛んでいってしまう。そんなセリフをなんの臆面もなく言える高校生が他にいようか。いた。親友の顔を思い出して帝人は苦々しい顔になる。 あまりにも居た堪れなくなって、帝人はもう一度布団を被ろうとしたら、それをムカつくほどすらりとした腕に遮られる。近くなった綺麗な顔立ちに、不覚にも顔が赤らんでしまう。 「おはようのキスは?」 「・・・・。」 帝人は目を逸らして何とか抵抗を試みたが、しなやかな指に顎を捕らえられ、無理矢理顔を向かされる。間近で見る深紅の目は実に、楽しそうに細められていた。 「しないの?困るのは帝人君だよ?」 そう言われれば、帝人は悔しそうな顔をした。臨也の笑みがますます深くなる。 会話を幾度となく録音されて脅された帝人と、脅した張本人臨也の決まりごとのひとつとして、おはようのキスを帝人から臨也にしなければならないというものがあった。なんとも馬鹿らしく、帝人は必死に抵抗を試みたが、携帯電話をちらつかされれば、帝人には従う他なかった。 まったく、容姿端麗・頭脳明晰・スポーツ万能とトントン来て性格破綻だなんて、どうして神様は最後にとんでもないものを与えてくれたのか。恨みたい気持ちでいっぱいだったが、あいにくと帝人には信仰するような神は特にいなかったため、世の中の残酷さを嘆いて終わるのみだった。 そして、今朝も例に漏れず、この黒い悪魔に従うべく、帝人は顔を真っ赤にしながら臨也の唇に、自分のそれをあわせた。微かに触れて離れようとするが、素早くまわされた手が頭をがっちり押さえられて離れられない。けれど、臨也はそれ以上何をするでもなく、触れるだけのキスを暫く続けるのだ。そして、そっと目を開ければ、目を閉じた臨也の端正な顔が視界に入ってきて、帝人はますます赤面をしてもう一度目を閉じることになる。 正直、臨也がどこまで本気なのかわからない。 こうなった原因で「わかった」とは言ったものの、臨也のような性格以外は完璧な人間が、どうして自分を選ぶのかがわからなかった。わざわざ自分なんかを選ばなくても、臨也なら綺麗な女子でもよりどりみどりのはずだ。 「帝人君・・・」 唇を離して、甘く呼ばれる度に、心臓が暴れだす。帝人自身、臨也をどう思っているのか、わからなくなっている。憧れていたし、最低だとも思ったし、こうやってドキドキしたりもする。あまりにも甘くて、苦しくて、くらくらする。 ぼんやりとやり過ごそうとしていると、近くから大きなため息が聞こえて来た。 「・・・あのさぁ、そんな顔されたら、俺だってね、色々とさぁ。ここ、帝人の匂い、するし、ベッドあるし、」 「・・・く、臭くて悪かったですね!」 恥ずかしくて、顔を茹蛸のように真っ赤にした帝人に、臨也が再び大きくため息を吐いた。 「臭いなんて言ってないでしょ。どうしてわかんないの。わざと?わざとなら容赦しないよ?」 「え、あっ、ちょっと、」 肩を掴まれて押されれば、ぼすんとベッドに逆戻りだ。下から見上げる臨也の顔は、髪の毛が少し掛かっていて、伺いにくい。互いの息遣いが聞こえるほどの距離に、帝人はどうしたらいいかわからなくてぎゅっと目を瞑る。 「帝人くん・・・」 臨也の声に反応して震える帝人の唇に、臨也のそれが触れようとした時、下から「帝人ー!?臨也君ー?」と母親の声が聞こえて臨也は勢いよく身体を起こした。 「行ってくるからー、あとはよろしくねー!」 「は、はいー!」 珍しくどもる臨也の顔は、薄っすらと赤くなっていた。きっと自分は真っ赤だろうが、なんだか臨也の様子を見ているとくす、と笑ってしまった。それに目敏く気が付いた臨也がむすっとする。 「・・・早く起きなよ」 誰がベッドに舞い戻らせたのかと思ったが、帝人は反論はせず「はい」と頷いて身を起こした。 着替えてから下へ降りると、臨也がコーヒーを入れてくれていた。鼻をくすぐるいい香りに、頬が緩む。帝人はあまりコーヒーを入れない。だから、臨也がウチにいるのだというのが再認識させられる。なんとなくこそばゆい気持ちで、準備された食卓につく。とろりとした半熟目玉焼きにカリカリのハムステーキ。バターたっぷりのブレッドに、こくりと喉がなる。 「いただきます」 「めしあがれ」 臨也と付き合うようになってから。臨也は毎朝帝人の家に現れた。そして、朝食を作って起こしに来てくれる。悪いなぁと思いつつも、臨也の好意に甘えていた。黒いエプロンを身に纏う臨也に、少しドキッとしているのは、もしかしたらばれているかもしれない。 「あ、帝人君、今日は次の集会の打ち合わせあるから」 「はい。わかりました」 打ち合わせと言っても、いつも通り交通安全と次のテストへの指導のための集会だ。今までと内容はなんら変わりはない。あるとすれば、臨也の挨拶くらいだろうか。この、外面がめっぽういい会長様は、学校中から慕われている。恐らく、校長先生の話より、皆真面目に耳を傾けているだろう。実に嘆かわしいが、帝人は15年も騙された口なので、何も言えない。 「今日はなににします?」 「んー、カツ丼にしようよ。帰りにトンカツ買って帰ろ?」 「わかりました。あ、ついでにドラックストアに寄りたいです」 「何?」 「消臭スプレー」 「・・・もしかして、部屋に使うの?」 「そうですけど」 実は先程の言葉がぐさりと帝人の胸に傷を作っていた。そう言ったことにとても過敏になる年頃なのである。 けれど、臨也は眉を寄せて「駄目」と言った。帝人がじろりと臨也を睨む。 「なんでですか。臨也さんが言ったんですよ」 「本当にわかってないの?やだよ駄目駄目。許さない。帝人君の匂いが大衆的な消臭剤にかき消されるなんて許可しないよ」 「においひとつでなんで臨也さんの許可がいるんですか」 「俺が帝人君の匂い好きだからに決まってるだろ」 言い回しが悪かったのか(だが事実なので曲げようがない)、帝人の顔は蔑んだようなそれになった。けれど、それに屈する臨也ではない。 「使ったら、俺の香水撒き散らすから」 「やめてください」 即座に否定したが、別に構わないと思った。帝人とて臨也の匂いは嫌いじゃない。しかし、と思い直す。 (臨也さんの匂いしたら、落ち着かないよなあ) 今だってドキドキしているのに、寝る時まで匂いがしたら寝られる気がしない。 (って、何考えてるんだ僕、) 一人で悶々としていると、臨也が大きな音を立ててコーヒーカップを置いた。思わずびくりと肩が跳ねる。臨也をちらりと窺うと、手で顔を覆っていた。 「・・・君はさ、なんでそんなに可愛いの。馬鹿じゃないの・・・」 少し掠れ気味の声にどきりとしたものの、馬鹿じゃないのという言葉に眉を寄せる。 「そりゃ成績優秀な会長様から見れば馬鹿でしょうよ!」 帝人は八つ当たりをするように乱暴にパンにかじりついた。香ばしい焼き目と生地にたっぷり含まれたバターのいい香りに、すぐに頬が緩む。 「自分の感情にすら気づかないなんて、そこまで来ると犯罪だよね・・・」 「はぁ?何意味わからないこと言ってるんですか。早く食べないと遅刻しますよ」 「はいはい・・・」 臨也は大きくため息を吐いてから、自分もパンに齧り付いたのだった。 *** 初めての時の躊躇いが嘘のように、すっかり慣れた様子で帝人は生徒会室のドアを開けた。 「来たか」 そう言ったのは門田京平。一見とっつきにくそうであるが、恐らくこの中で一番面倒見が良く、一番良識がある。そして帝人にとっても一番話しやすい先輩である。 その隣で「やぁ」と手を挙げるのは、岸谷新羅。一見大人しそうで優しげな見た目をしているが、その中身は知識に貪欲で、人間の摩訶不思議な部分を目の当たりにすれば「解剖したい」と言ってのける奇天烈な人物である。隙あらば『セルティ』という人物の魅力を語りだすし、知識力もとんでもないから彼をなんとか煙に巻くのも至難の業だ。めんどくさくなったら強引に突破する静雄が心底羨ましい。 そして、その静雄と言うのは、彼の向かいに座ってひたすらロールケーキひと巻きをただのパンのように貪っている、少し着衣に乱れのある男子生徒だ。名を平和島静雄という。 その人間離れした驚異的な力を持った彼は、帝人の憧れの先輩だ。帝人はまだ見たことはないが、道路標識を引っこ抜き、コンクリートを蹴り崩し、果ては三階から飛び降りても全くの無傷らしい。少し人より沸点は低いが、普段はぼんやりとした穏やかで静かな少年だ。しかし、臨也が絡むと、十中八九どころか十は爆発する。臨也も平気で挑発するため、戦場と化するというのが、門田たちの証言だ。怖くもあるが、一度はその様を見てみたいと帝人は思っていたが、不謹慎なその言動は、胸の中に仕舞われたままだ。そもそも、臨也がどんな酷いことを静雄に仕掛けたのかと思うだけで、身内の恥、申し訳なくなる。 帝人は中にいた上級生の面々に「遅くなりました」とぺこりと頭を下げた。 「いらっしゃい」 にこにこと笑って迎えたのは会長の臨也。いつもなら「遅い!ここでお昼食べればいいだろ!俺と一緒に!」くらいの暴言は出るものだが、実に機嫌が良さそうな臨也の様子に、一同はゾクリとする。きっと何かの前触れだと、帝人以外の人間は構えた。 「てめぇ、何企んでいやがる?」 静雄がギロリと臨也を睨む。今日は臨也が機嫌が良い所為か、まだ口論という口論には発展していない。しかし、臨也の常ならぬ態度に、静雄のストレスは溜まる一方だ。 しかし、そんな言葉を投げられても、臨也はにこにこと笑ったままだ。 「企んでなんかないよ。ね?帝人君?」 えへへと笑う臨也に、鳥肌を立てる輩が何人か。無理矢理話に巻き込まれた帝人は、余計なことを、といった風に眉を寄せた。 「知りませんよ」 「そんな訳ないでしょ。俺と水族館行く約束、忘れたとは言わせないよ」 「い、臨也さん!」 帝人は顔を僅かに赤らめて、臨也を制止するが、赤い目にじろりと睨まれる。 「何?言っちゃいけないわけ?」 「いけないというか、」 もごもごと口ごもってしまう。 正直恥ずかしい。男同士で水族館というのが、少し異常ではないかと帝人には思えた。しかし、臨也と帝人は一応、お付き合いしている仲なのだから確かにおかしくはないかもしれないのだが、周りには内緒であるし、男同士だからと、余計帝人に引け目を感じさせていた。 僅かに顔を赤くした帝人を「可愛い」と臨也が思っているだろうことは、そのだらしのない顔(とは言っても、元がいい分、女子なら顔を赤らめそうなものだが)で門田と新羅には容易に想像が出来た。 (デートだね) (デートだな) こっそり目配せをし合った門田と新羅を余所に、静雄が「気持ち悪い顔すんな」と顔を顰めた。 「うるさいな。シズちゃんみたいに野蛮な輩には恋心なんてわかんないでしょ」 「コイゴコロォだぁ?誰が誰に恋してんだってんだよ」 「馬鹿?今の流れじゃ俺とみ、」 臨也の言葉を帝人が慌てて「ああああああっ!」と叫んで遮る。そんな恥ずかしい暴露は御免だ。 「臨也さんっ!今晩は何にしましょうか!?」 多少無理を承知しながら、帝人はなんとか話を誤魔化そうとした。案の定、臨也の形の良い眉が顰められた。 「カツ丼って言ったじゃん。君は何を聞いてるの?」 「あ、ですよね!そうでした!すみません!」 「なんか夫婦みたいな会話だねぇ」 じゅーっとパックの牛乳を飲みながらぽろりとこぼした新羅の一言に、「なっ、」と帝人は顔を真っ赤にさせ、臨也は「でしょでしょ!」と嬉々として食いついた。 「俺たち、朝も夜も共にする仲だしね!でも欲を言えばまだ恋人っていう甘ーい浮遊した時期を楽しみたいって言うかね!」 「何言ってるんですか!馬鹿じゃないですか!」 真っ赤になって拳を振り上げてくる帝人をかわし、臨也はによによといやらしい笑みで帝人の下から上までを眺める。 「帝人君は照れ屋さんだなぁ。俺らはとっくに同じ布団で寝た仲だというのに」 「何歳の頃のこと言ってるんですか!」 「大丈夫、また寝るようになるよ」 「冗談じゃないです!っていうか!打ち合わせしないなら教室戻りますよ!」 すっかりパニック状態に陥った帝人を哀れに思い、門田は「さっさと終わらせるぞ」と臨也を促した。 「・・・お前ら付き合ってんのか?」 暫く口を閉ざしていた静雄の言葉に、ようやく落ち着いたはずの生徒会室は、再び混乱、主に帝人が混乱に陥ったのは、言うまでもない。 [続く] ********************************************************** まだまだ微妙な距離の二人。 2011/04/03 ブラウザバックでお願いします。 |