いざや兄さんとみかどくん03




 翌日、結局眠れなかった帝人は、ふらふらのまま登校する羽目になった。しかし、今日に限って臨也からは「先行く」とメールが来ていた。少しホッとした。
 だが、今日も生徒会に呼び出されていた。正直気が重い。
(ていうか、どんな顔して会えばいいんだろ)
 何故、臨也があんなことをしたのか、わからない。いや、からかわれているのだろう。きっと、自分の反応を楽しもうとしているに違いない。そう考えると、いらっとした。
(だとしたら、無反応が一番いいのかな。冷静に行こう)
 そう言い聞かせて、生徒会室のドアノブを握ったが、どうあがいても顔が熱い。一体どうすればいいのか。途方に暮れていると、突然、ドアが内側から強い力で引っ張られた。
「うっわああ!」
 引かれた勢いに任せて、目の前に居た人に体当たりをしてしまう。心臓をばくばくさせながら「すみません!」と見上げると、知らない男子生徒が立っていた。
「あ?なんだ?お前」
 あまり機嫌が良くないらしく、低い声にビクリと身を縮めた。
「あの、臨時書記の竜ヶ峰帝人です」
「臨時?」
「昨日、いざ・・・会長に指名されて」
 その言葉に、一層目が鋭さを増す。
「お前・・・あいつの信者か?」
「ち、違いますよ!なんですか信者って!」
 冗談じゃないと首をブンブン強く振ると、相手は落ち着いたらしく「ならいい」と言って室内へ戻っていった。緊迫した空気が解けて、胸に痞えていた息を大きく吐き出す。遠慮がちに付いて行くと、テーブルにはパンや菓子の袋が散乱していた。生徒会らしからぬ光景に言葉を失う。
 しかも、今、彼が手にしているのは、通常の何倍もあるプッチンプリン。イチゴ味と書いてあるそれを、既に半分は平らげていた。
「なんだよ」
「いえ、なんでもないです」
 帝人は慌てて首を振って否定したが、やはり気になる。
「・・・甘くないですか?」
「甘くなかったらプリンじゃねぇだろが」
「・・・そうですね」
 そりゃそうだ。具なしの茶碗蒸しだろう。けれど、彼は黙々と食べている。
 帝人はとりあえずお茶を入れようと席を立った。コップがどれか訊こうとして、相手の名前を知らないことに気が付いた。帝人は控えめに「あの、」と声を掛けた。
「すみません、お名前をお伺いしてもいいですか?」
「平和島静雄」
「平和島先輩ですね。よろしくお願いします」
「おう」
 ぺこりと頭を下げれば、先程より空気が和らいだ気がした。
「平和島先輩のコップはどれですか?」
「白いやつ」
 そう言われて白いものを探すと、なにやらマジックで落書きがされていた。その内容に絶句する。『化物』やら、『潰す』やら。描かれていた可愛らしいデフォルメの猫にも、眉毛やら変な目やらを落書きされている。帝人は慌てて静雄に駆け寄った。
「あの!これ!」
「ああ、それだ」
「そうじゃなくて、この文字!」
「・・・そりゃノミ蟲がやりやがったんだ」
 忌々しそうに言う静雄に、「ノミ蟲?」と首を傾げる。
「臨也だ」
「っ!」
 まさか、という思いで、帝人は瞠目し、彼とコップを交互に見た。
「そんな、」
「最初はムカついて一々割っちまってたけど、限がなくてな」
「・・・・。」
 確かに、あの黒い悪魔ならやりかねない。失せかけていた怒りが再び燃え上がる。
(見損なった!会ったら説教してやる!)
 ドスドスと乱暴な足取りでシンクに向かい、懸命にごしごしとコップを洗う。落ちにくいマジックで書かれているらしいが、帝人は懸命に擦り続けた。

「すいません、緑茶でよかったですか?」
 そう言って帝人が差し出したマグカップはすっかり真っ白に戻っていて、可愛らしい猫のみだ。静雄が目を瞬いて帝人を見た。
「お前、よく落としたな」
「あんなの書いてあったらお茶が不味くなりますからね」
 にこりと笑ってみせる帝人だったが、内心、怒り心頭であった。静雄は気づいた様子もなく嬉しそうにコップを見ていた。
「ありがとな」
「いいえ。むしろうちの馬鹿野郎がすみません」
「あ?お前、アイツの兄弟なのか?」
「いえ、隣に住んでるんでほぼ兄弟みたいなものなんですけど。懲りるまで嫌いなものばっか出してやりますよ」
「そりゃいいや」
(あ、)
 笑った静雄は、かっこよかった。冷静に見てみると、相手の顔が恐ろしく整っていることに気づく。
 新羅や門田だって顔立ちが整っている。なんて言う場所だと、帝人は内心ため息を吐いた。ますます早く書記から脱したい気分になった。
「ほら、やるよ」
 落ち込む帝人に、静雄がマーブルチョコを差し出す。帝人は咄嗟のことに戸惑って首を傾げた。
「いえ、お気持ちだけで嬉しいです」
「礼だ。受け取っとけ」
 そう言って一層押し付けられて、帝人も笑って「頂きます」とありがたく頂戴した。
 しかし、和やかになった室内の空気を、ぶち壊す男が介入した。

「ばっかじゃないの」
 弾かれるようにそちらを見ると、不機嫌そうに腕を組んだ臨也が立っていた。その冷たい赤に、びくりと身を揺らす。
「あ?んだと?」
 顔に青筋を浮かべた静雄がガタリと音を立てて立ち上がった。それを冷めた目で臨也が一瞥する。
「帝人君はねぇ、甘いもの、好きじゃないんだよ。つまり、お前がやってることはただの押し付けで迷惑」
「あぁ?!」
 早くも臨也の胸倉を掴んでいる静雄に、帝人が慌てて割り込む。
「落ち着いてください!違いますから!僕、甘いものも食べます!」
「でも好きじゃないだろ?」
「好きです!映画館ではキャラメルポップコーン買います!Mで!」
 二人の手が止まる。咄嗟に思いついた言葉だったが、あまりにも間抜けで、言った後に赤面した。
「・・・すいません」
 恥ずかしくて小さくなった帝人を、ふるふると震えていた臨也がぎゅうっと抱きしめた。「手、出したら許さないからね!シズちゃん!」
「あ?!」
 いきなり意味のわからない宣言をされた静雄は、目をパチパチと瞬くしか出来ない。しかし、すぐに気を持ち直して臨也を睨み付ける。
「殴るわけねぇだろ!俺がぶっ潰したいのはお前だけだ!」
「あーホント、お前マジ嫌い!」
「俺だって嫌いだ!」
「お、落ち着いてください!」
 頭上で怒鳴り合われ、帝人は二人の胸を叩いて止めさせようと声を上げた。

「何、面白いことしてんの?」
 顔を出した新羅が遠巻きににやにやと見守っていた。臨也に拘束されたままの帝人は手を振って「岸谷先輩!」と助けを求める。
「何とかしてくださいよ!」
「諦めろ。いつもより断然マシだ」
「門田先輩!?」
 新羅の後ろから顔を出した門田は、首を振ってもう一度「諦めろ」と言った。
「そうだねぇ、まだ、何も損壊してないからね」
「何も損壊って・・・」

「シズちゃんみたいな馬鹿力は帝人君に触んな!」
「あ!?るせぇよ!」
 次の瞬間、バキッと音を立てて椅子がひしゃげた。その光景に、絶句する。
「へ、平和島先輩・・・?」
 呆然とする帝人に、静雄はしまった、と顔を歪め、臨也はフンと勝ち誇ったように笑った。
「ほらね?化物でしょ?近寄ったら危ないから駄目だよ?」
「チッ、」
 腕の中で震える帝人に言い聞かせるように囁いたが、すぐに顔を引き攣らせることになる。
「・・・凄い」
「は?」
「凄いです、平和島先輩!」
「ちょ、みか、」
 臨也の腕を払い退け、静雄に駆け寄る。静雄も驚いたように目を瞬くばかりだ。
「鍛えたんですか?何か習ってるんですか?柔道?合気道?空手?」
「いや、生まれつきっつーか、」
「本当ですか!?すみません、手、触ってもいいですか?あ、嫌だったらいいんです。男に触られるっていうのも微妙ですし」
「構わねぇけど、」
「わっ、ありがとうございます!わ、手おっきい。いいなぁ。僕も大きくなりませんかね。二年後には平和島先輩くらい身長欲しいです!」
「そ、そうか?」

「なに、あれ」
 呆然と呟く臨也の後ろ、新羅は既に爆笑している。
「まぁ、あれだろ。小さい生き物相手に静雄も強く出らんねぇじゃねぇか?」
「そうじゃない!」
 地団太を踏んだ臨也が、静雄から帝人を無理矢理引っぺがす。
「帝人君!離れなさい!」
「何するんですか!静雄さんは良いって言ってるんだからいいじゃないですか!」
「駄目!だめーっ!」
「何、子供みたいに、」
 まだ何か言いたげな帝人の口を無理矢理塞いで、ギッと静雄をにらみつける。帝人のペースに巻き込まれた静雄は目を瞬くばかりだ。
「シズちゃん!もう一度言っとくけど、手、出したら許さないから!」
「あ?今のは俺が出され_」
「うるさいっ!うるさいうるさい!」
「アァ?テメェの方がうるせぇんだよ、ノミ蟲が!」


 ぎゃあぎゃあと、いつもの暴力ではなく口争いに、新羅は笑い転げ、門田は頭痛がしたが、まだ平和かと、若干諦めの視線で彼らの動向を見守ったのだった。




***

帝人は隣を歩く男に、ふぅ、とため息を吐いた。
「臨也さん、そろそろ機嫌直してくださいよ」
 けれど、臨也はむすっとしたままだ。帝人はお手上げ状態だ。

 静雄との口論の末に、我慢が聞かなくなった静雄から頭にたんこぶを貰っていたのだ。自分がいけないのだから、仕方ないと帝人は思っているのだが、いつまでもこの状態では困る。それで、先程から話しかけていたが、臨也は一向に機嫌を直さなかった。
 大人気ないと帝人は考えていたが、臨也が不機嫌な理由は、帝人が考えているところと少しずれているのを、理解していない。
 じろりと臨也がその赤い目を帝人に向ける。
「・・・君はシズちゃんが好きなの?」
「好きって・・・まあ憧れますよね。っていうか、臨也さんの人の感情基準は好きと嫌いだけなんですか?」
 確か舞流の時もそんなようなことを言っていた。
「・・・そうだよ。君が誰を好きなのか気になってしょうがない」
「僕?」
 首を傾げる帝人に、臨也は少し呆れたようにため息を吐いた。
「君は、本当、変わらないね」
「どういう意味ですか」
 ムスッとして臨也を睨みあげると、臨也は苦く笑っていた。
「俺は変わったよ。大切で大切で、ずっと守ってやりたいって思ってた子を、恋愛感情で好きだって気が付いて。でも、認められなくて、相手が距離を置いたのを好機に、俺も離れた」
「いざや、さん?」
 見る見る驚きの表情になる帝人に、臨也が困ったように笑う。
「でもね、君の作る料理食べて、やっぱり好きだって思った。俺だって男だから、抵抗があることはわかってる。だから、今まで、近寄らなかった。でも、君があの夜、偶然通りすがって、チャンスだと思った」
 あの夜、というのは、帝人が臨也の本性を知った時だ。あの時、臨也がそんな風に思っていたなんて、知らない。
「・・・僕のこと、からかってます?」
 震える声で訊ねる帝人に、臨也は肩を竦めた。
「まぁ、そう思うよね。でもさ、俺も焦ってるんだよ」
「そう見えないんですけど、」
「・・・シズちゃん、好き?」
 再びの質問に、帝人が呆れた顔をした。
「また・・・・」
 けれど、今度は苦笑いではなく、臨也は怒った表情だ。
「だってしょうがないだろ!俺なんかマイナスまで行ってるのに!横から取られるなんて冗談じゃないよ!」
「ちょっ、臨也さん!落ち着いてください!」
「やだやだ!俺、帝人君じゃなきゃやだ!」
「臨也さん!わかりましたから!」
 駄々を捏ねる臨也に、帝人がばちんっと両手で臨也の頬を挟む。恐らく痛かったのであろう。白い頬は少し赤くなっていた。静かになった臨也にホッとして、息を吐いてから真っ直ぐ臨也の赤い目を見つめる。
「わかりましたから。落ち着いてください」
「・・・じゃあお付き合いしてくれるんだね?」
「へっ?」
「わかったんでしょ?さっすが、俺の帝人君。決断早くて惚れ惚れしちゃう」
「ええええっ!ちょ、そこまでは!あの!おっしゃりたいことがわかったと言っただけで!」
「話を変えるの?証拠もあるのに?」
「!?」
 ポケットから取り出したのは、携帯ではなく、もっとコンパクトな機械。嫌な予感は見事に的中した。
『やだやだ!俺、帝人君じゃなきゃやだ!』
『臨也さん!わかりましたから!』
 携帯電話より、ずっと鮮明なそれに、帝人は絶句した。
「いやあ、嬉しいなあ。大好きな帝人君と両思い。今日はいい日だ。二人の記念日にしよう」
 にっこーと実に嬉しそうに笑う臨也。
 もしかして、さっきまでの不機嫌は、
「い、臨也さん、」
「大丈夫、すぐに戸惑いなんかなくなるよ。だって、俺たち好き同士だからね!」
 はいはい、恋人同士のちゅーう!と言って、道端で構わずキスしてきた臨也をぶん殴り、家に逃げ帰った帝人は、いつまでも収まらない心音と、頬の火照りに、呆然とした。


 帝人少年が恋を認めるまで、もう少し時間が掛かりそうだ。






[おわり]




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ここまでお付き合い下さいましてありがとうございました! 2011/04/03

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