いざや兄さんとみかどくん01




 イザ兄(にい)は、小さい頃からの僕の憧れだった。

 僕が生まれる前からお隣同士だった折原さん家の長男で、僕より二つ年上。公園などにいつも連れて行ってもらってたし、時々互いの家に泊まって一緒の布団で寝たりもした。  折原さん家に双子の妹が生まれた時は、一人っ子の僕にも妹が出来たみたいで嬉しくて、イザ兄と一緒になって彼女たちの面倒を見たりしていた。
 どこに行くのでもくっついていって、本当の兄弟みたいねといろんな人から言われていた。僕はそれが嬉しかった。だって、イザ兄みたいなかっこよくて優しい人と兄弟って誇らしい。幼い頃はその言葉を何の疑問を持たずに喜んで受け取っていた。
 けれど、僕が中学に入った頃からだろうか。
 中学というのは実に多感な時期で・・・まあ、恥ずかしい話、登下校も一緒にいたらクラスの女子にからかわれた。小学校の時から一緒だった正臣は「そんなのこっちの勝手だろ!」って言い返してくれてたけど、僕は悔しくて恥ずかしくて。部活を理由にイザ兄と一緒に登下校するのを避けた。
 元々、イザ兄だって部活が大変なのに、無理に僕に合わせてくれていたんだ。二人の時間はあっという間になくなった。イザ兄は運動部を掛け持ちしていたから、朝は早いし、夜は遅い。イザ兄と離れて初めて、イザ兄が見えてきた。
 僕が思っていた通り、イザ兄はかっこよくて優しくて、多分、年齢の割りに凄く落ち着いている大人びた人だから、皆から人気があった。僕をからかった女子だって、僕が羨ましくてからかったのだと後から知った。でも、それを知っても何も変わらないし、むしろ良かったと思う。自分が今までイザ兄を拘束していたんだ。イザ兄は僕なんかずっと構っていていい人じゃない。
 それから、互いの家を行き来することも一切なくて、けれど、九瑠璃と舞流はよく僕の家に遊びに来ていた。なんだかいつの間にか様子が少し変わっちゃったみたいだったけど、僕にとっては大切な妹たち。うちもだけど、共働きで忙しい折原さん家から呼んで、三人でご飯を作ったりした。イザ兄の分も作って持って帰ってもらっている。最初は「あいつ食べないから必要ないよ」と言われていたが、食べたい気分になった時に何もないのも大変だろうと思っていつも持たせていた。でも、いつからか食べてくれていると聞いて。
 今では週に一回くらい顔を合わせるかあわせないかくらいだけど、やっぱりいつまでも僕の憧れのお兄さんだ。

 その時はまだ、僕は何も知らなかった。




***



「今日は夕飯はいいから。九瑠璃ちゃんと舞流ちゃんをお願いね」
「わかった。いってらっしゃい」

 先に出た父に続き、母を見送って、帝人は朝食の片づけを始めた。今ではすっかり板についている。てきぱきと終えてから、登校までの少しの時間をニュースを見て過ごすのが帝人の日課だ。
(今日は何にしようかな。メールでも送っておこうか)
 いや、彼女たちに任せたらきっと肉ばっかになってしまう。昨今の女性はヘルシーな料理を好むと聞いているが、彼女たちは育ち盛りの男子高校生の自分から見ても(自分で言うのはなんだが)、完全な肉食だった。自分だって肉は好きだが、栄養が偏るのは好ましくない。自分といない朝昼は好き勝手しているだろうから、せめて夜だけでもしっかりとバランスを考えなければならない。
 取ってきた新聞から広告を抜き取り、ぱらぱらとスーパーのチラシを探す。
「合いびき肉三割引・・・キャベツも安い。・・・ロールキャベツだな」
 玉ねぎもたっぷり入れて、スープはコンソメにしようかトマトにしようか。
「まぁ、そこだけは九瑠璃と舞流に選択肢をあげよう」
 そんなことを呟いて、メールを打ってから帝人は家を出る準備を始めた。



「おはよう、帝人君」

 鍵を閉めていたところに、声を掛けられて振り返ると臨也が優しい笑顔を浮かべて手を振っていた。入学式以来見ていなかったから、一ヶ月ぶりくらいかもしれない。
 帝人はどきりとしたのを隠して、笑顔で「おはようございます」と返した。
「今から学校?」
「ええ。臨也さんもですか?」
「うん。今日は朝練なかったんだ。ホラ、テスト期間だろ?」
「途中まで一緒に行こう?」という言葉を断る理由もなく、頷いて臨也の傍へと駆け寄った。
 臨也と帝人は同じ学校に通っている。偏差値は普通といったところだが、公立で金銭面的なものと、それから一番近かったというのが、帝人の理由だ。進級最初の実力テストの期間である。臨也は今年で三年だから、きっと大変なのだろう。かくいう帝人も高校初めてのテストであるから、勉強はしてある。常日頃、予習復習を欠かしていない帝人にとっては、普段より少し勉強しておけばいいかと思う程度ではあるが。
「じゃあ帰りも早いんですか?」
「いや、皆で残ってテスト範囲をやらされるみたいだよ。期間中にあがいたってしょうがないのにね」
 肩を竦める臨也に、「大変ですね」と苦笑を向ける。
 帝人のクラスで、まだまだ互いに面識が浅い中、大きな話題になっているのが臨也の存在だ。眉目秀麗、スポーツ万能、頭脳明晰、そして生徒会長。入学式の挨拶では当然注目の的だ。改めて凄い人だと思い知らされた。こうして話をしていることすら不思議で仕方がないのだ。
「帝人君、高校生活はどう?」
 笑いかけられて、帝人は少し顔を赤らめて視線をそっと外す。イケメンというのは何に置いても得に出来ている。
「ええと、まだなじめてないですけど、中学校よりいろんな人がいて楽しそうです」
「そうだね。他からも来るもんね。友達できそう?」
「どうでしょう。でも、正臣と同じクラスだから困ってはいないです」
「ああ、紀田君ね」
 臨也から目を逸らしていた帝人は、臨也の眉がピクリと跳ねたことには気づかなかった。
「それにしても、臨也さん凄いですね」
「何が?」
「うちのクラスの女子が騒いでましたよ。かっこいい生徒会長がいるって」
「そうかな」
 苦笑する臨也に帝人が大きく頷く。
「それ聞いててなんだか遠い人だなあって思いました」
 登校中の今だって、臨也は注目を受けている。自分は男だからいいが、もし女だったら多分いじめにあっているのではないだろうか。
 けれど、臨也は「そんな訳ないだろ?」と言って、肩を叩いた。なぜか、触られた肩がぴくりと動く。なんというか、触り方に違和感を覚える。少し戸惑って臨也を躊躇いがちに見上げると、彼の柘榴色の目が真っ直ぐ自分を見下ろしていた。
「臨也さん?」
「もし、帝人君はさあ、」
 少し躊躇っている雰囲気を見せる臨也に、目を瞬く。けれど、臨也が続きを紡ぐ前に、それに割り込む声があった。

「グッモーニン!みかーーーーーどっ!」
「わぁっ!」
 走ってきた勢いのまま肩に腕を回され、前のめりになる。こんなことをするのは一人しかいない。高校生になって、金髪に染めてきた親友、紀田正臣を、帝人は「もう!」と批難の声を上げて無理矢理身体を突っぱねた。
「何でいつもそうやって落ち着きがないの!」
「いやー、それは俺の愛じゃん?何?照れ隠し?」
「どうしたらそうなるの・・・」
 諦めたように首を振って大きくため息をつく。
 小学校の頃から何かと一緒にいた彼だが、臨也と離れてからは余計に共有する時間が多くなっていた。中学校になってから帝人もようやく同い年の友達が増えてきたのだ。
 帝人は一見大人しそうで遠慮がちだが、慣れてきた相手には遠慮がなく、また、一度心を許すと世話を焼くようになるというのが、正臣の見解だ。しかし、帝人に言わせて見れば、正臣の方が面倒見がいい。軽いノリではあるが、実のところ、正臣が人一倍周りに気を配っているのを、帝人は知っている。臨也とのことがあった時、正臣はまるで帝人の心の隙間を埋めてくれるかのように、帝人を構ってくれた。だから、帝人は正臣が困った時は何でも力になろうと常々考えていた。しかし、頭の回転が良い彼が『困った』ことになるのはナンパが不発するということだけで、帝人の手は必要なさそうなのが現状だ。

「やぁ、紀田君。おはよう」
 
 片手を上げて挨拶をする臨也に、正臣は一瞥したが、すぐに「おはようございます」と言ってそっぽを向いた。人懐っこい正臣にしては珍しい態度に、帝人が僅かに目を見張る。
「正臣?」
「ようよう、みーくん。今日は朝から英語だぜ?ここは俺をレスキューしてしかるべきじゃない?」
「はぁ?どうしろってのさ」
「帝人様のお力で是非ヤマを授かりたいと!」
「またそんな」
 がっちり首に腕を回して来る正臣を顔を顰めて、けれど、抵抗をするのも面倒なのでそのままにさせている。
 けれど、横を歩いていた臨也が「はいはい」と言って正臣腕をひっぺがす。
「ダメだよ、紀田君。そういうのは実力じゃなきゃね」
「そうそう。『実力テスト』ですしね」
 くすくす笑う帝人に、正臣ががっくりと項垂れる。
「帝人のけち」
「大体、僕が予想したって当たるかわかんないだろ。僕を何と勘違いしてるの」
「だって今までだって当たってたじゃん」
「たまたまでしょ。ていうか、別に僕に訊かなくても出来てるくせに」
 英語は正臣の得意科目だ。呆れたため息を吐いて見せたが、帝人にはこれが正臣のコミュニケーションのひとつだと知っていた。何かと絡むのが好きなのだと、理解をしている。
 校門の前まで行くと、正臣が帝人の腕を引いてこちらに寄せる。「何?」と訊くが、正臣はそれには答えず帝人の隣、臨也を挑戦的に見上げた。
「ほら、折原さん、信者の人たちが待ってますよ」
「信者?」
 首を傾げて見やれば、幾人かの女子たちがこちらを見て校門で待っていた。
「信者なんて大げさだね」
 臨也が控えめな笑いを返す。けれど、正臣は警戒したように更に帝人の腕を引いて彼から遠ざけた。
「どうぞ、先行ってください」
「そう?じゃあ、またね、帝人君」
「あ、はい」
 優雅に手を振って向かう臨也に、女子生徒たちが集まる。帝人はその様子を感心したように眺めた。
「本当に、人気あるんだねぇ」
「人気なんてもんじゃねぇよ。ビョーキだよビョーキ」
 ケッといやそうに言う正臣に、帝人は眉を寄せた。
「ひがみ?」
「んな訳ねぇだろ!あんなのに夢中になる女なんてこっちから願い下げだ!」
「ちょっ、正臣、声大きい!」
 慌てて口を塞がせるが、周りは聞いていないようだった。ホッと息を吐く。
「もう、なんでそんなに嫌うの?」
 帝人にとって幼い頃からの憧れだ。大好きな人を悪く言われるのはあまり聞きたくない。けれど、正臣は忌々しげに見ていた臨也の背中から視線を外し、真剣な表情で帝人を真っ直ぐ見つめた。
「あの人にはあまり近づくな。いい噂は聴かない」
「なにそれ、初耳だけど」
「あー、まあ、なんつーか、俺にも情報網があるんだよ」
「じゃあ具体的に言ってみてよ」
「・・・聞かない方がいい」
「何?それじゃ信じられないよ」
 じろりと睨んでみたが、正臣はいつものように格好を崩すことはなかった。正臣は普段は茶化しているが、鋭い観察眼を持っている。恐らく、自分よりずっと周囲に気を配っているだろう。
 正臣の言葉を蔑ろにもできなくて、帝人は真偽を判断するように、臨也の背中を見た。しかし、出迎えられた女子たちに挨拶する姿は、ただの優等生だ。
 やっぱり、帝人が憧れた臨也兄さんでしかない。
 帝人は小さくため息を吐いた。
「まあ、正臣がどう言っても、どうせあの人には近づけないけどね。住む世界が違う気がするって言うか」
「馬鹿、そんな考えじゃつけ込まれるぞ」
「つけ込むって、僕につけ込んで何の特があるのさ?」
 それこそ、変な話だと帝人は苦笑した。
「お金がある訳じゃないし、特別頭がいい訳じゃないし、運動なんて目も当てられないし」
「そうだな、お前の徒競走には大いに笑わせてもらった」
「・・・・」
「怒んなって!顔真っ赤にしてひいひい言ってる帝人、可愛かったぞ?ちょ、あぶ、危なっ!ボールペンは反則だぞ!」
 帝人の無言の攻撃を何とかやり過ごして、おっかなびっくりで帝人の横に戻って来た正臣は、真剣な顔に戻っていた。
「お隣さんだって聞いたけどさ、できるだけ『折原臨也』には近づくな。な?」
「・・・わかった」
 殆んどため息を吐くのと一緒くらいに言う。恐らく、正臣は頷かないと納得しないだろう。
(でも、臨也兄さんが悪く言われるのがわかんない)
 正臣を信じていないわけじゃない。けれど、臨也兄さんだって信じたい。
 帝人は、やりきれない思いを、大きなため息と共に吐き出した。




***




「ごちそうさま!」
「謝」
 すっかりロールキャベツを平らげた九瑠璃と舞流に、「お粗末さまでした」と言って皿を重ねる。トマトベースのそれは二人に好評だったようで、残ったら朝食にしようとした分もすべて食べられてしまった。
(おかしいな。僕より食べるって)
 二人ともその細い身体のどこに入るんだか。片づけを手伝ってくれる九瑠璃にありがとう、といいながら、洗い物を済ませる。ダイニングテーブルでだらりと身体を投げ出している舞流が「みか兄、みか兄!」と呼ぶ。
「ミスド食べたい!」
「えぇー、ないよ」
「食べたいー!買って来ていい?」
「ダメに決まってるでしょ。七時以降は外出禁止」
「やだー!食べたいー!」
「我慢」
 九瑠璃も一緒になって嗜めるが、言うことをきかない舞流に、帝人はため息を吐く。
「わかったよ、じゃあ僕が買ってくるから」
「否、危」
「駄目だよおー!みか兄の方がどう見たって子供じゃん!」
「ちょっと、」
「みか兄可愛いからね!きっと公衆トイレに連れ込まれてああっ、止めてください!僕には心に決めた人があーーー!」
「ちょっと!舞流!」
「叱」
「いたっ!酷いよクル姉!」
 ぺチンと頬を叩かれてわざと目を潤ませる舞流に、帝人はため息を吐く。
「行ってくるから、ちゃんと留守番しててよ」
「はぁーい、気をつけてね!」
 コートを羽織って、二人に玄関まで見送ってもらう。一番近いのはどこだっただろうか。まだまだ寒い空気に首を竦ませた。
 九瑠璃と舞流には出歩くなと言ったが、帝人は池袋の夜の街中は嫌いではなかった。昼とは違う、閉鎖的な闇が広がる街に動く人々。いつも見知った街が、知らない土地のように見えて、まるで違う場所に紛れてしまったかのような感覚が好きだった。
 近道をしようと公園を横切ろうとして、先程の舞流の言葉が思い出された。別に自分がそういった対象になるとは思えないが、ちょっと嫌な気分にはなる。早く通りすぎようと早歩きをしていると、夜に紛れる黒いコートが目に入った。ちょっと極論な気もしなくもないが、春のコート=変態のイメージが強い。自分が着ているのを棚に上げて、ソロソロと通り過ぎようとして、人がもう一人いるのに気が付いてびくっとする。電灯も少ないのに何をしているんだろうと窺いながら歩いていると、そのうちの一人が、見知った人物であることに気が付いて足が止まった。咄嗟に木々の陰に隠れる。
「___ということですから」
「わかった。助かったよ。ありがとう」
 そう言って中年の男が差し出したのはお札に見えた。そして、それを受け取ったのは、帝人の隣人である、折原臨也だった。
(うそ、どうして?何でお金なんか・・・)
 立ち去る男を呆然と見送りながら、朝の正臣の言葉が思い出される。
『あまりいい噂は聴かない』。もしかして、

「盗み聞きは感心しないなぁー、帝人君?」
「ひっ、」
 突然話しかけられてビクリと身体を震わせる。心臓がばくばくと脈打つ中、振り返ると薄っすらとした明かりの中に、臨也が幽かな笑みを浮かべて立っていた。笑っているはずなのに、恐怖を感じて後ずさる。
「あの、臨也さん、いまの、」
「なんだと思う?」
 クスクスと笑う臨也は、どこか挑発的で、同じ顔なのに、帝人の知る臨也とは全く違う人に感じられた。
「い、いざ、にぃ?」
 恐怖で昔の呼び方に戻っていることに、帝人は気づいていない。臨也の口角が上がる。
「帝人君、そんなに怯えないで欲しいなあ。俺はね、ただビジネスをしていただけだよ」
「ビジネス・・・?」
「そ。でもさあ、知られたくないんだよねぇ。俺ってば生徒会長で優等生で通ってるでしょ?」
(何を抜け抜けと、)
 思わず顔に出てしまったのか、「でしょ?」ともう一度念を押してきたので、仕方なしに頷く。
「だからね、黙っていて欲しいな」
「わ、わかりました。黙ってればいいんでしょう?じゃあ、僕はこれで、」
 そそくさと立ち上がろうとしたが、肩を押されて逆戻りして尻餅をつく。強かに尻を打った帝人は「痛ったぁ、」と悲鳴を上げた。
「何するんですか!」
「そう慌てないでよ。ね、俺はさ、ただの口約束じゃ、信用できないんだよね」
「そんなこと言われても」
 まさか契約書でも書けばいいのかと、困ったように顔を見上げた帝人の顎を、臨也は強く掴んだ。
「ちょ、いっ、んぅっ!?」
 気が付けば、臨也の柘榴色の瞳が目の前にあって、その中に驚いた自分の目が映し出されていた。唇に感じるぬくもりに、帝人の思考が停止する。それを好機と言わんばかりに、ぺろりと帝人の唇を舐めて、舌で口をこじ開ける。初めてのことでどうしていいかわからない帝人は、されるがままに臨也の舌を口内に受け入れてしまった。
「ふ、・・・っ」
 ぬるりと這う臨也の熱い舌に抵抗をして、身体を暴れさせるが、いつの間にかがっちり押さえられて抵抗もままならない。
「ん、んぅ・・・んっ」
 文句を言おうにも、鼻に抜ける声が出るだけで、それがまた帝人の羞恥を掻きたてた。面白そうに眺めてくる柘榴色の目から逃げたくて、帝人はぎゅっと強く目を瞑った。
 臨也が、帝人を解放したのは、それからどれくらい経ってからだか、帝人には全くわからなかった。

「どう、気持ちよかった?」
 彼の唇が離れてからも、呆然とした帝人に、臨也が面白そうに問いかける。段々状況が飲み込めてきた帝人は、そのブルーブラックの瞳を怒りに燃やした。
「どういうつもりですか!?」
「どうって、口止め料。嫌だった?」
「当たり前でしょう!何考えてるんですか!」
「おかしいな。大体皆これで喜んでくれるんだけどな」
「っ、」
 皆、ということは、きっと多数の人間にこんなことをしてきたのだろう。そして、その他大勢と一緒に扱われた。今まで、憧れていたひとに、だ。
 悔しくて、帝人はごしごしと強く唇を擦った。
「最低です!言いふらしてやります!」
「そう?できるかな?」
 にやにやと笑いながら取り出したのは携帯電話。それがどうしたと睨み付けていた帝人だったが、次の瞬間には真っ青になる。
『「ちょ、いっ、んぅっ!?」「ふ、・・・っ」「ん、んぅ・・・んっ」』
 先程の、気持ち悪い自分の声。帝人は悲鳴のように叫んだ。
「やめろっ!」
 慌てて飛び掛って奪おうとするが、臨也が手の届かないところまで上げてしまう。
「中々いい声出すね。やっぱノリノリじゃない」
「違うっ!」
 臨也を殴ろうと拳を振り上げたが、思わしげに携帯を横に振って見せられたため、ぐっと手を握って堪える。
「・・・それが口止め料ですか」
「ま、そういうこと。流されたくなかったら、わかってるよね?」
「・・・・・。」
「そう睨まないで。君が俺の敵に回らなければいいだけの話じゃない」
 肩を抱こうとしてくるのを拒絶したかったが、帝人は払いのけたくなるのを我慢して、怒りに満ちた目を逸らした。
「・・・帰ります」
「待って。俺も一緒に帰る」
「なんで」
「何でって、君はこれが必要だろう?」
 そう言ってどこからか持ち出したのは、ミスドの箱だ。帝人が大きく目を見開く。確かに、自分が外出した理由は買出しだ。しかし、何故臨也がそれを知っているのか。
「どうして、それを、」
「なんでだろうね?ま、強いて言えば、俺が情報屋さんだからかな?」
「・・・・。」
 怒り交じりの不審げな視線を寄越すブルーブラックの瞳に、臨也がにっこりと、今までとは違う、どこか意地の悪い笑みを浮かべる。
「ま、これからよろしくね、帝人君?」
 よろしくしたくない。
 これから巻き込まれるだろう事態を思い、帝人は心の底から、正臣の忠告を受け入れなかった自分を責めたのだった。






[続く]




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臨也さんがただの良いお兄さんなわけがない!(…) 2011/04/03

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