俺の知らない君8




「急に呼び出して悪かったな」

もぐもぐとチョコレートケーキを美味しそうに頬張る池袋最強に、帝人も頬が緩む。

「いいえ、大丈夫ですよ。特に何もなかったんで」
「遠慮すんなよ。お前はいつまで経っても細っこいからな。甘いもんいっぱい食っとけ」
「あはは、ありがとうございます」

細っこいと言われて、帝人が乾いた笑いを浮かべながら、自分の体をぺたぺた触った。
細い・・・だろうか。高校の時よりは筋肉もついたと思うのだが・・・。
ちらりと静雄を見上げる。

「静雄さんも細いですけど、身長があるから男らしいですよね」

いいなあ、と見上げると、静雄はびっくりしたように目を瞬いた後、破顔した。
静雄がぐしゃぐしゃと頭を撫でる。

「なんだ?おだててもケーキしかでねぇぞ?」
「そんなんじゃないですよ。もう。・・・僕も静雄さんみたいに身長欲しいです」
「いや、お前はそのまんまがいいだろ」

きっぱりと言い放った静雄に、「何でですか」と悲しい声を上げる。

「だって可愛いし。おっきくなったら帝人子じゃなくなっちまうだろ」
「ちょ、覚えてたんですか・・・!」
「おう、俺の娘」
「違いますから!」

ぷりぷりと怒る帝人に、静雄は笑いながら掬ったケーキを口に運ばせた。


カフェ内に居た客たちは、池袋最強の暴挙に、生きた心地がしなかったと、後に振り返ったのだった。




***




「今日はありがとうございました」

途中、周囲の凍った空気を感じ取った帝人が、ちょうど食べ終わった静雄を促して外に出たのだった。
今思えば恐ろしい光景だっただろうと、ぞっとする。
どうやら人の気持ちには疎いらしい静雄は、まるで気づいていないようだった。にかっと笑って帝人の頭を撫でた。

「おう、また付き合えよ」
「はい。ぜひ」

帝人もつられて笑顔になる。
静雄のまったく毒気のない笑顔に、帝人も癒された。最近、何かとばたばたとしていたし、気疲れもしていたので、随分気分転換になった。

(なんか、まだがんばれそうだな)

わしわしと遠慮なく撫でなれながら、頬を緩ませていると、突然静雄の足がぴたりと止まった。

「?どうしたんですか?」
「ノミ蟲、」

青筋を浮かべた静雄の視線を辿ると、言葉の通り、臨也がそこに居た。
しかも、その傍には正臣と、早樹まで。
一瞬にして、帝人の脳裏に門田の言葉が蘇る。
(もしかして、僕のこと、正臣に訊いて・・・?)
正臣が話すとは思えないが、帝人の表情が強張る。早樹は臨也の信者だ。望まれればきっと知る限りのことを話すはず。
再び、臨也に視線を戻すと、帝人は息が止まるかと思った。
怒りと宿した柘榴の瞳が、真っ直ぐ自分を捉えている。

「なんだ、あいつ、いつもと違うな」

まあ関係ねえかと呟きながら、静雄が首を鳴らす。けれど、帝人の耳には入らなかった。
どくどくと早鐘を打つ胸の辺りを、無意識にぎゅうと掴む。

関係が、ばれた。
嫌われた。

もう、唯の助手にも、戻れない。

(ひどい、ひどい、どうして、もういやだ)

「竜ヶ峰?」

静雄の後ろに隠れたと思うと、そのまま踵を返して帝人は逃げた。

「帝人!?」

正臣が驚いた声を上げたが、横に居た黒が動くのを見て、咄嗟にモッズコートの裾を掴んで止めた。 振り返った赤が、剣先のような鋭い眼光を向ける。

「放せよ」
「誰が!追ってどうすんだよ!返事によっては許さない!」
「ハ、本当、馬鹿みたいに真っ直ぐだねえ。不愉快だよ」
「っ、」

ナイフが手の甲を掠めて、ぴりりと痛む。怯んだ隙に、臨也は奪い返すようにコートを引っ張って走り出した。
しかし、今度は飛んできたベンチが臨也の行く手を阻む。
横に跳んでかわし、ベンチを投げてきた規格外の男、平和島静雄を一瞥する。

「なに。今遊んでる暇ないんだけど」
「てめぇこそ、さっさと巣に帰れ。竜ヶ峰が嫌がってんだろ」
「・・・・」

柘榴の目が、一層鋭い光を宿す。
しかし、一度目を瞑った後、「竜ヶ峰君!」と帝人を呼び止めた。普段滅多に聞かない臨也の怒号に、帝人の足が止まる。体を大きく揺らして振り返る彼。
口端をを上げた臨也が、自分の首にナイフを突きつけた。
突然のことに、帝人の青い目が零れんばかりに見開かれた。
自分を目に映した帝人の表情に、気分がよくなる。

「おい、ノミ蟲、どういうつもりだ」

水を差す静雄の低い声に、品のよい眉が寄せられる。チ、と舌打ちをしてから、臨也は機嫌を取り直したように、狂気的な笑みを浮かべた。

「戻っておいで、竜ヶ峰君。君がそのまま逃げるというのなら、俺はまた新羅の家に行く羽目になる」

そう言って、躊躇いもせず、少し首にナイフを食い込ませた。
切れ味のよいナイフは、臨也の白い首を裂き、その目と同じ深紅が流れる。

「止めてください!」

まるで悲鳴のような彼の叫びに、気分が上昇する。
そうだ。そうやって俺を見ればいい。
ナイフを首に当てたまま、臨也はもう一度、優しい声で言う。

「戻っておいで」
「・・・・最低だ」

ぎり、と悔しさで拳を震えるほど強く握る。
彼が、死ぬとは思えないけど、それでも、彼が傷つくのは嫌だ。しかも、自分のせいで。
まったく、最低な男相手に、馬鹿みたいに惚れてしまった。
意を決してとぼとぼと臨也の方へと歩き出すと、静雄が「竜ヶ峰、」と心配そうな視線を寄越した。

「無理すんな。殺っとくか?」

静雄らしい言葉に、少しだけ笑みを浮かべて首を振る。

「大丈夫です。ご迷惑をお掛けしてすみません」
「迷惑じゃねえ。そんな風に言うな」

がしがしと乱暴に頭を撫でてくる静雄に、涙が出そうになる。

「竜ヶ峰君、なにしてんの」
「!すいません、」

臨也のイラついた声にビクリと体を揺らし、慌てて臨也に駆け寄ると、強引に腕を取られ、引き摺られるように歩く。

「帝人、わりい」
「大丈夫だよ」

泣きそうな顔をした正臣に、苦笑する。
隣の沙樹を見ると、声には出さず、「がんばって」と口を動かしていた。目を瞠ったが、彼女の真剣な表情を見て、僅かに笑みを浮かべて、頷く。
本当はどうしてこんなことをしてくれたんだと罵りたかった。何ががんばって、だ、と。でも、彼女は臨也のことを思って行動しているのだ。それをむげには出来ない。
(たとえ、追い出される結果になったとしても)
決着をつけよう。

突然、強く腕を引っ張られて、元々足元が覚束なかったせいもあって、体が大きく傾く。
悲鳴を上げて「なにするんですか」と臨也を睨み上げると、不機嫌な赤を目が合った。

「余所見してんなよ」

言ったら怒るだろうが、それはまるで。
(拗ねてるみたい)
帝人はすみませんと謝って、歩くことに集中しようとした。考えたってどうしようもない。彼からは逃げられない。
そっと視線を地面に落として、彼が手を引くままに、歩いたのだった。




***




「うわっ、」

臨也のベッドに乱暴に投げられ、体が沈む。
久しぶりに触れたベッドに、帝人は目を白黒させた。そのまま臨也がコートを脱ぎ捨ててのしかかってくる。

「ちょっ、どういうつもりですか!」

臨也の薄い胸を押し返そうとするが、びくともしない。
いつもはその黒いコートのせいで細身に見えるが、静雄との争いもあって、しなやかな筋肉がついていた。静雄をライオンに例えるなら、臨也は豹やチーターだと思う。
こういう時、いつも自分は敵わなかった。けれど、今、屈するわけにはいかない。
必死で抵抗してくる帝人に、臨也が苛立たしげに赤い目を細めた。


「なんで抵抗するの?俺たち、こういう仲なんでしょ?」 「っ、だったらなんなんですか!?貴方は前の自分がそうだったからって僕に気を使うようなひとじゃないでしょう!」
「わかってるじゃない。その通りだよ」
「ひあっ!」

冷たい手が直に腹を撫で、高い声が上がる。帝人は恥じて、口を押さえながら臨也を睨み付けた。優越感に浸った目とかち合う。

「・・・どういうつもりですか」
「気に入らないんだよ」
「っ、」

びくりと僅かに怯えた気配の帝人に、すっと胸が晴れるのを、臨也は感じた。

「そう、気に入らない。俺と恋人だったことを隠して、静雄と堂々と遊んで。君は大人しそうな顔してそっちの方も割りとやるねえ?」
「静雄さんとはそんなんじゃない!失礼なこと言わないで下さい!」
「本当に?なら確かめてあげる」
「なっ!」

言うが早いか、ナイフが帝人の上着を裂く。肌を傷つけることはなかったが、服から伝わる感覚に震える。

「白くて細いねえ。女の子みたい」
「うるさい!馬鹿にすんな!」
「そうだよね。女の子だったらもっとふっくらしてるもんね。こことか」
「や、あっ」

しなやかな指が帝人の胸に触れ、帝人の体が大げさに揺れる。その敏感な反応に、からかうように「ひゅう」と口笛を吹いた。

「随分エロいね。俺と出来なくて溜まってた?」
「んぅ、や、触んなぁっ」

親指で胸の突起を押しながら揉まれ、声に早くも色が滲む。
興奮しないわけがない。自分のことを忘れていても、自分が求めてやまないひとが、触れているのだ。
帝人はなんとか力が入らない腕を突っぱねて臨也を拒絶するが、頭の上で手をまとめられて引き抜かれたベルトで強引に縛られる。
零れんばかりに見開かれた蒼穹の瞳を小気味良さそうに赤眼が見下ろす。

「こういうことはしなかったんだ?」
「するわけないでしょう。解いてください!」
「だめ。だって、抵抗されたらすっごい乱暴にしたくなるし」
「今でも十分乱暴です!」
「これで?俺って君に相当優しくしてたんだ?」

帝人は睨み付けるだけで答えなかったが、僅かに染まった頬を見て、不快な気持ちになる。自分が訊いたことだが、記憶を失う前の自分に、苛立ちを覚える。
この子が好きなのは俺じゃなく、記憶を失う前の俺だ。
柘榴色の瞳に、剣呑な光が浮かぶ。

「面白くないなあ」
「・・・・。」
「今目の前に居るのは俺だよ?」
「知ってますよ。貴方にとって僕はただの助手です。だから止めてください」

切り捨てるように言われて、苛立った臨也が帝人の下肢に触れる。会話で消えかけていた色が、再び帝人の目に浮かび、口端を上げた。


「俺が、相手してあげる」
「ん、や、いやです!」
「強情だねえ。でも落とし甲斐があるよ」

その言葉に、蒼穹の瞳が水を孕む。

「さいていだ」
「そうだよ。俺と付き合ってたなら知ってるだろ?」
「もっとさいていです」

その言葉が、胸にしこりを残しているのに目を瞑って、笑う。

「はは、褒め言葉だね」





もう黙って、と言って、彼の体に溺れていった。
乱暴に暴いて、彼をなかせて。
ようやくどろどろに溶かして、右も左もわからなくなった彼が、甘く「臨也さん」と呼ぶ声を聞いて、喜びを覚えたと同時に、後悔した。

なんで、こんなことをしたのか。
そもそも、自分は彼で遊ぶだけだったはずだ。なのに、こんな本気みたいなことをして。確かに、これなら騙せると思うが、

「いざやさ、ん?うで、とって、」
「あ、う、ん。いいよ」

求められるままに、ベルトを外すと、彼の手首には赤い後がついていた。僅かに血が滲んだ肌が痛々しい。
なんで、こんなに罪悪感を覚えるのか。
顔を強張らせている臨也を余所に、帝人はふわふわした表情で笑った。
自分が、今まで見たことのない表情。再び、理由のわからない苛立ちがこみ上げる。

「いざやさん、すきです」
「っ、」

初めて好意を、しかも、つたない声で言われて。
でも、それは自分に向けてではないのだ。

「いざやさんは?」

答えない臨也に、不安そうな蒼穹の瞳を向けられ、震える声で「好きだよ」と答えた。
過去の自分にイラつくほど、好きだ。
ぎこちなく言う臨也に、帝人がふにゃと笑う。

「ぼくも、」

甘える帝人の頭を撫でてやると、すり、と、身を任せてきた。
元々、限界をとっくに超えていたのだろう。そのまますう、と寝息を立て始めた。

「・・・・。」





まるで、負けたようだから考えたくなかったのに。
例え、過去の自分でもいやだったのに。

臨也は思いため息を吐いて、体を起こす。

この子のことを、思い出したい。
やっと、素直に認められた。



[続く]

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この中のシズちゃんと帝人君は兄弟か親子の陽な関係です。2011/02/06

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