俺の知らない君7




(臨也さん、昨日も帰ってこなかったなあ)

柔らかな朝日が差し込む中、帝人用に宛がわれたシングルベッドで、帝人はぼんやりと考えた。
以前は、臨也の部屋のキングサイズのベッドで二人で寝ていた。当然、記憶を失った彼とは寝られない。帝人は家主が帰ってくる前に急いで自分用のベッドを調達したのだ。
臨也の元でバイトをしているお陰で、購入することは出来た。高校生の頃だったらソファ寝決定だったな、と、苦笑した。

今日は朝から講義だ。
食欲もないし、洗濯だけ済ませて学校へ行こうと考えながらリビングに行くと、ソファに黒い塊を見つけて、ぎょっとした。

「臨也さん!?」

慌てて駆け寄ると、彼は体を投げ出すようにして寝ていた。
何でこんなところで、と、帝人は首を傾げる。今まで一度もソファで寝ている彼を見たことはなかった。体が伸ばしきれて居ないせいだろうか、どことなく不機嫌そうに見えた。

「臨也さん、風邪引きますよ?」
「・・・・。」

勿論、暖房設備がしっかりしている臨也の家ならそんなことはないが、そのままにしておくのは忍びない。しかし、声を掛けても臨也が起きる気配はなかった。
しゃがみこんで、しばらく振りに彼の顔を遠慮なく眺められた。
こんな状態でなんでわざわざ家に帰ってきたのだろうか。・・・会っていた女性と仲たがいをして苛立ち紛れに帰ってきたのだろうか。
そう思うと帝人にもどうしようもない気持ちが胸を支配する。一瞬、臨也の顔に手を伸ばしかけたが、触れることなく戻された。その感情を吐き出すようにため息をついてから、帝人は朝食を用意するべく、立ち上がった。





「あ?」

目を覚ました臨也は一瞬、自分がどこにいるかわからなかったが、やがて、昨日、竜ヶ峰帝人の情報をろくに集められなくて、苛立ち混じりにソファで不貞寝したことを思い出し、寝起きも相俟って不機嫌さが増す。

「?」

自分の体を見下ろすと、毛布が掛けられていた。
波江かと思ったが、彼女は今日は休日だし、彼女の弟意外にこんな優しさを持ち合わせているとは思えない。
となると、

「あ、起きましたか?」

顔を出したのは洗濯籠を持った竜ヶ峰帝人だ。
「おはようございます」という彼の言葉に、ぼんやりしながら挨拶を返す。

「朝ごはん食べられます?」
「あ、うん、貰おうかな」

咄嗟に頷くと、彼はわかりましたと言って足早にリビングから出て行った。

(あの子が近寄ったのに気づかなかったのか?)
情報屋という敵の多い仕事柄、そして自分の性格をしっかりと把握しているため、人の気配には敏感だった。
いくらいつもと違う状況だとは言え、彼が近寄って、しかも毛布までかけても気づかないなんておかしい。
彼がよっぽどうまく気配を殺したか、自分が熟睡しすぎていたか。しかし、全然すっきりしていないし、頭脳派な竜ヶ峰帝人にそんな凄い技が使えるとも思えない。
となると、

「臨也さん、できましたよ」

呼ばれて、思考が中断される。返事をしてダイニングテーブルにつくと、ごはんとお味噌汁、鮭に海苔、理想的な朝食が用意されていた。
そこまで空いていた訳ではなかったが、いい香りにのどが鳴る。

「竜ヶ峰君は食べないの?」
「僕はもう済ませましたから」

そう言ってお茶を渡してくるのを受け取る。そして忙しくまた部屋を出て行くのを見送った。
残されて、少し残念だと感じた自分に驚く。一緒にご飯を食べたいと思った。
いつも、彼が料理を作っていても、勝手に出て行ってしまっているというのに、だ。女性でもないのにこのようなことを考えるなんて。



「臨也さん、すみません、時間なんで行きますね」
「あ、うん。いってらっしゃい」

箸を止めて手を振ると、彼はぺこりと頭を下げて出て行った。

「・・・・。」

新羅や門田に曖昧にされて、意地になっていたが、やはり、彼を知りたいと思う気持ちは薄れなかった。
(今度は来良のやつらの所に行ってみるか)
当たっていく順番を考えながら、臨也は彼の作ったご飯を味わったのだった。




***






「え?臨也さんが?」

門田から電話を貰い、昨日の出来事をきいて、帝人は目を丸くした。
大学の食堂、友人たちと食べていた所に彼から電話が来て、外に出たところでその話を聞いた。

「意外ですね。僕になんか興味ないかと思っていたのに」

素直な感想を言うと、電話の向こうからため息が聴こえてきた。

『お前それ本気で言ってんじゃないだろな?記憶を失っててもお前は絶対あいつの興味対象のドストライクだぞ』
「そうですか?そんな気がしませんけど・・・」

臨也の行動を思い出してもそうだ。
しかし、ふと思い当たる。もし、彼が竜ヶ峰帝人がダラーズの創始者だと知ったら確かに面白い駒として興味を抱くかもしれない。彼のことだから、もう知っているのかもしれない。
そう考えると納得はいく。

「そうか、ダラーズか。それとも、僕が情報を漏らさないかどうか疑ってるのかな」

ぽつりと呟いた帝人の言葉を門田が聞き取ったようで、再びため息をついた。
この青年はどうも自覚が足りない。
折原臨也を受け入れるという所業は常人には出来ないのだ。だからこそ、彼らが付き合うまで、今まで臨也は好き勝手してきて様々な人間に目を付けられていた。
それを真人間とまでは行かないが、少なくとも人間観察という悪趣味を止めさせたのだ。
帝人自身はなるようになっただけと思っているだろうが、そうできたことは本当に凄いことなのだ。
恐らく、臨也は繰り返す。
帝人で遊ぼうとする。かつて、彼がダラーズごと帝人を引っ掻き回したように。

『いいか、気をつけろ。お前には辛いことだと思うが、あいつはお前と付き合う前のあいつに戻っちまってるんだ。何をしてくるかわかったもんじゃない』
「そうですね。僕も、組織をまた利用させるつもりはありませんよ」
『だから、それだけじゃない。お前が気をつけろ。一番狙われるのはお前だ』
「ぼく、ですか?」

いかにもピンと来ていないと言った声に、何度目かのため息をつく。

『そうだ。お前は臨也にとって絶対に興味を惹く存在だ。組織も大切だがまずは自分の身を守れ』
「大丈夫ですよ。もう、あの時みたいにめそめそするのは止めましたから」

本当にわかっているのだろうかと疑うほど軽い声だ。
確かに、帝人はしっかりしている。けれど、しっかりしているからこそ、ほつれた時への不安が大きい。

『とりあえず、気になることがあったら連絡しろ』

何でもひとりで抱えようとする帝人だ。一応釘を刺しておくが、何かあっても絶対に言わないだろう。ならば、こちらが気をつけてやるしかない。
そこまで考えて、二十の後輩に、過保護にしすぎかとちらっと思ったが、相手は折原臨也だ。警戒しておくには越したことはない。

「すみません。ありがとうございます」


門田に礼を言って切ると、メールが届いていた。
静雄からだ。彼からのメールは貴重なので、帝人は目を丸くする。
何かあったのだろうかと開けてみると、お茶の誘いだった。最近、臨也の件でばたばたしていたのでご無沙汰になっていたが、彼とは偶にお茶をする間柄だった。
甘いものを好んで食べていた静雄を笑いもせず、普通に受け入れた帝人を気に入ったらしく、機会があれば彼とお茶を飲みに行っていた。
とはいっても、帝人はそこまで甘いものが好きではないので、静雄が甘いものを食べている横でコーヒーを飲みながら話をするだけなのだが。
ちなみに、臨也はこの習慣を非常に嫌っており、見つかると怒り狂うので内緒にしてある。少し罪悪感を感じないわけでもないが、浮気をしているわけではない。静雄のことは大好きだが、勿論憧れであるし、静雄ももう一人弟が出来た気分で居るようだ。童顔のせいか、子ども扱いがいまだ抜けないのが帝人にとっての悩みの種であるが、池袋最強と過ごす時間は非常に楽しい。

午後の講義は1時限だけだったし、久しぶりに息抜きができそうだと思い、帝人は二つ返事で快諾した。
夕食作りに間に合う時間に帰ればいい。受けていた情報収集は終わっているし、洗濯物は乾燥機の中だからご飯を食べ終わった後でも構わない。

「おーい、竜ヶ峰ー、早くしないと置いてくぞー!」
「あ、うん!ごめん!」

友人に声を掛けられて、ハッとする。
帝人は慌てて食堂に戻ったのだった。




***




誠二は目の前の人物を、少し眉を寄せて睨み付けた。相手も機嫌が良いわけではなさそうで、その品の良い眉を吊り上げていた。

「すみませんが、竜ヶ峰のことは話せませんよ」

先読みして口を開けば、柘榴色の目は苛立たしげに細められた。
相手の噂はよく聞くが、自分たちに接点はほとんどない。となると共通の知り合いのことだろうと見当がついた。誠二は記憶喪失のことを新羅から聞いていた。それは図星だったらしく、誠二は小さくため息をついた。

「どうしてかな?」
「今の貴方に話しをしてもろくな結果にならないからですよ」
「何で君にそれがわかるの?もしかしたら記憶が戻るかもしれないだろう?」
「そんな曖昧な「もしかしたら」に賭けてたら、竜ヶ峰の身がもちませんよ」

竜ヶ峰帝人を庇う彼の態度が気に食わない。

「随分わかったような口ぶりだね」
「貴方の噂を聞いてれば簡単に予測できます」
「ふうん」

道端でじりじりと睨み合いをしていると、誠二の恋人である美香が「誠二!」と甘えた声で呼びかけてきた。
二対の眼差しが彼女へと向く。

「ごめんなさい!ちょっと遅れちゃった」
「構わない。俺も今来たところだ」

二人のやり取りをつまらなさそうに見ていた臨也に、美香がにっこりと笑いかける。

「すみません、私たちこれからデートに行くんで」
「その前にひとつ聞きたいんだけど?」
「だめです。誠二がしゃべらないことは私もしゃべりません」

きっぱりと強い意志を宿した目で、真っ直ぐに臨也を捉える。
(こいつもか)
臨也はポケットの中のナイフを一瞬握りかけたが、ため息をついて両手を挙げた。この男女がどこまでも意志が固く、自分の考えを曲げないことを知っている。
恐らくどんなに脅されても口を割らないだろう。

「いいよ。他を当たるから」
「他ですか。たぶん無理ですよ」
「ねえ」

またも何度か聞いた事のある言葉を言われ、臨也の苛立ちが更に募る。

何もかもが気に食わない。
周りは必死であの青年を守っている。まるで自分に触れさせないように。そして、件の青年すら、自分の記憶について触れようとしてこない。臨也には、思い出さなくてもいいかというように。
(同居するくらいなのに、)

すでに臨也の中では、帝人で遊ぶのではなく、竜ヶ峰帝人を知りたいだけが目的に摩り替わっていた。
けれど、誰もが黙秘している。自分だけが知らないというジレンマ。


「・・・お前らに何がわかるんだ」

思いの他、低い声に二人は瞠目した。
臨也はいつものような笑みを取り繕うこともなく、感情のままに殺意を丸出しにして柘榴の目を細めた。

「ふざけんなよ。お前らにとってどんな存在か知らないが、絶対につきとめてやる」

吐き捨てるように言って、臨也は二人に背を向けた。



「・・・まずっちゃったかな?」

ぽつりと呟かれた美香の言葉に、一瞬迷ったが誠二は首を振る。

「いや、俺たちがしゃべったら竜ヶ峰が危ない」
「でもなんか火が付いちゃったみたいだよ?」
「まあ、元々その気はあったみたいだからな・・・」

誠二がふぅと息を吐く。

「竜ヶ峰に忠告しとくか」
「あ、大丈夫。門田さんがしてたから」

相変わらずの情報網で、美香がけろっと言った。誠二が「そうか」と肩を竦めて出した携帯電話をポケットにしまう。


「なんか、前と変わらない執着具合になってきたな」


騒動が起きなければいいが、と、考えながら、誠二は美香を連れて歩き始めた。




***




周りの視線を集めていることを知りながら無視を決め込み、臨也は待ち合わせ場所のサンシャイン入り口で壁に寄りかかっていた。
いつもであれば心置きなく通りすがる人々を観察するところだが、あいにくとそんな気分にはなれなかった。

臨也が彼の到着に気づき、寄りかかっていた壁から背中を離した。


「やあ、呼び出して悪かったね、紀田君」
「・・・・。」

にっこりと好青年を思わせる笑みを向けられたのは、竜ヶ峰帝人の友人である紀田正臣だ。かつて黄巾族のリーダーを務めていた彼は、今でも竜ヶ峰帝人にとって重要なポジションにいる。 そして、彼ら二人のチームを引っ掻き回した臨也は、彼に嫌われていることを知っている。嫌われているなんてもんじゃない。
恐らく、竜ヶ峰帝人が臨也の助手をしていることも快く思っていないのだろう。

「なんの用っすか」
「まあわかってると思うけど、竜ヶ峰君の事なんだけどね」

普段は人懐っこい琥珀色の目が鋭くなる。

「俺から話せることはないっすよ」
「だと思った。でも、君には話してもらわなきゃ困るんだよ」

恐らく、誠二たちより口を割らせるのは難しいだろう。
けれど、竜ヶ峰帝人に一番近しい彼が持つ情報はどうしても得たい。

「俺は彼のことが知りたいんだよ。俺と彼の関係をね」
「知ってどうするんすか?アイツでまた人間観察をするのは許しませんよ」
「ふうん?またってことは一度はしてるんだ」
「!」

正臣の顔が歪む。
確かに、あんなに面白そうな人間を目の前に、手を出していないはずがない。

「それで?だったら俺は彼に嫌われてるはずだけど、どうして同居までしてるのかな?」
「知るかよそんなの!」

「恋人同士だったからですよ」

静かで、けれど凛とした声が二人の間に割り込んだ。
臨也も正臣も瞠目する。

「沙樹・・・」
「沙樹!余計なこと言うな!」

正臣の恋人である沙樹は、緩やかな笑みを浮かべていた。

「うそだろ・・・?」

半ば呆然とした臨也の声に、沙樹は「本当ですよ」と言った。
臨也を裏切って正臣に味方した今でも、臨也は彼女にとって圧倒的な存在だ。
彼女がもたらした、臨也は僅かに眉を寄せる。

「本当に?」

臨也の様子に、正臣が慌てて否定の声を上げる。

「アイツはただの助手ですよ!大体男同士が恋人なわけないだろ!」

一生懸命臨也の気持ちをそむけようとする様が、信じられないが、余計に臨也に確信を抱かせた。それを更に決定付けるように、沙樹が首を振って正臣の言葉を否定する。

「臨也さんは元々、特別竜ヶ峰くんを気にかけてたんです。今も、気になって仕方がないんじゃないですか?」

まるですべてを見透かしたような目に、臨也の柘榴の目が探るように細められる。

「沙樹!」
「隠しても無駄だよ、正臣。ちゃんと話した方が安全だよ?隠して、隠して、爆発したら竜ヶ峰君、もっと傷つくんじゃないかな」
「絶対にさせない。俺はあいつを守る」

真っ直ぐに対峙してくる琥珀色の瞳に、臨也は苛立ちを感じる。

「なにそれ?ナイト気取り?俺と竜ヶ峰君がどうしようと、君には関係ないだろ。君は沙樹を守ってればいいじゃない」
「アイツは俺の親友だ!」
「正臣、」

沙樹が落ち着くよう、そっと抑える。それから、ゆっくりと臨也の赤い目を見つめた。

「ダラーズを混乱に陥らせた時も臨也さんは竜ヶ峰君を裏切ってますけど、その後、もう一度裏切ったんですよ」
「ダラーズの件のほかに?」
「はい。彼にまだ興味を持っていた臨也さんが、竜ヶ峰君に交際を申し込んだんです」
「沙樹!」

臨也の柘榴の目が大きく見開かれた。
男子高校生を相手になんて酔狂な遊び方をしたんだ。それが率直な感想だ。

「そして、本気で好きになりそうになって、逃げたんですよ」
「は?俺が・・・?」

好きになる?逃げる?
沙樹の言葉が理解できずに、呆然とする。
人間をすべて愛する自分が?一個人に執着した?

どういうことだと、再度問い詰めようと手を伸ばすが、正臣が彼女を守るように立ちはだかる。
(本当に目障りだ)
(沙樹のことと言い、帝人君のことと言い、なんでいつも俺の邪魔を、)

臨也は脳内を掠めた思考に、驚く。
(みかどくん?って、竜ヶ峰帝人のことか?ていうか、今、なんで、)
するりと手から零れ落ちてしまいそうな幽かなそれが、臨也にもなんであるかがわからない。
一体、自分は今、

「臨也さん?」

沙樹が心配そうに臨也を覗き込もうとするのを、正臣が引き止める。
どこまでも障害である彼を睨み付けた時、臨也の視界に、臨也を苛む未知の感情を巻き起こす青年と、その隣に歩く姿を、捉えた。



[続く]

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沙樹様は菩薩のような方なので先がわかるのです(…)。2011/02/06

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