俺の知らない君05 |
「うー・・・、」 小さく唸る帝人の背中を、門田が擦ってやる。 「大丈夫か?」 「うう、すみません・・・」 若干舌足らずに言う帝人に、苦笑する。 あの後、夕食を食べてから帰宅をした。随分ストレスが溜まっているようだったので、アルコールの低いカクテルを買って飲ませてみたが、一缶で随分酔ってしまったようだった。 酒を飲もうとしても未成年と間違えられて止められるのが嫌になって、帝人はあまり酒を飲んでいなかった。元々それほど得意ではないのだろう。 「ほら、水だ」 「ありがとうございます」 ペットボトルを受け取ってコクコクと喉を鳴らす。 その姿に、失敗したと、門田が申し訳なさそうに肩を竦めた。 「悪かったな、気分転換どころじゃなくなっちまった」 「いえ、そんなことないですよ。ありがとうございます」 薄く笑う帝人は、そっと視線を逸らしながら言った。 「・・・ちょっと、帰りにくかったので、本当に助かりました」 「まあ気が済むまで泊まってけよ」 「あはは、そんな甘やかさないでくださいよ」 「滅多にないからな。俺がその気のうちにどんどん使っとけ。俺にとっても、お前は後輩なんだから」 「・・・はい。ありがとうございます」 深くは聞かなかったが、やはり相当参っている様子だ。 それはそうだろう。恋人が自分のことを忘れてしまったのだ。つらくないわけがない。 帝人はあまり人に弱いところを見せるようなやつではないから、つい、また臨也を抑えてくれるのではないかと、周囲も期待しがちだった。 (新羅のやつめ) 一発は殴っとくかと物騒なことを考えながら、帝人の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。 「ほら、さっさと寝ちまえ」 「はい、すいません、」 用意された布団にずるずると入っていく。 帝人の珍しくだらしない姿を見て、苦笑しながら電気を消すと、「かどたさん、」と呼ばれた。 「なんだ?」 「・・・あしたも、とまっていいですか・・・?」 どんどん弱くなっていく声に、門田は手を伸ばして被った布団からはみ出ている頭を撫でた。 「いいぞ」 「・・・ありがとうございます・・・」 そのまま、すうすうと寝息が聞こえてきた。 可哀想だと思う。しかし、自分には一時的な逃げ場しか作ってやれない。 本当ならもうアイツに関わらないことを言い聞かせるところだが。 忘れたままの臨也も、哀れだと感じる。あんなに帝人を大切にしていたことを、一切覚えていないのだ。 「・・・戸草に轢かせてみるかな」 そんな物騒なことを呟いてから、何言ってんだと門田は頭をかいて、毛布を被ってソファに沈んだ。 *** 臨也は、イラついていた。もしかすると、静雄と対峙する時と同じくらいか、それ以上かもしれない。 原因は言わずもがな、件の助手である。 彼と池袋で別れてから、三日も経っているにも関わらず、彼は帰宅してこない。 最初は清々するとのびのび仕事をしていたが、彼が居ないことに不便さを感じ始めた。資料の場所がわからない。 電話をするのは癪だったので、メールで聞いてみると、目的の資料の場所と、それと一緒に他の資料の場所をわかりやすく送ってきたのだ。 彼はよっぽどできる性質らしく、メールひとつで臨也は彼が整理した資料を把握することが出来た。確かに、これで彼が居なくても困らない。 しかし、 (なにこれ、もう帰ってこないつもり?) そうなることを望んでいたはずなのに、しかし、彼の居ない事務所に苛立つ。 自分の記憶には、彼と過ごした記憶が事故後の一ヶ月ほどだというのに、だ。 「くそっ!」 認めたくない苛立ちに、八つ当たりをするように重厚な机を思いっきり蹴る。 振動でカップが落ち、音を立てて飲みかけのコーヒーと陶器の破片が散らばった。 「ちょっと、いい加減にしなさいよ」 同じく不機嫌を隠そうともしない波江が、雑巾とちりとりを持って大股で歩いてきた。 「あの子がいないからって私の仕事を増やさないで」 「は?竜ヶ峰君は関係ないし」 「それが私に通用するとでも思ってるの?さっさと土下座でもして戻ってきてもらいなさいよ」 「何で俺が!ていうか、俺悪いことしてないんだけど!?」 荒々しく立ち上がる臨也を余所に、波江はてきぱきと臨也が壊したマグカップを片付けていく。 「してるじゃない。人のこと忘れておいて何言ってんのよ」 「俺のせいじゃないだろ」 「貴方のせいよ。勝手に車に轢かれて忘れて馬鹿じゃないの」 「・・・あのさ、俺雇い主なんだけど?」 柘榴の目を剣呑に細めるが、波江には効果がないようだ。むしろ、臨也に劣らぬほど冷ややかに見返す。 「雇用者のミスで私にもとばっちりがきてるんだから当然の権利でしょ。さっさと連れ戻してきて」 「だからなんで俺が」 「ああ、そういえば平和島静雄のところに行くって言ってたんだったわね。怖くて連れ戻しにいけないの?」 「あ?」 ピクリと、品の良い片眉が跳ねる。しかし、波江は構わず続けた。 「そう思えば結構面白い状況じゃない。新宿の情報屋折原臨也は、天敵の平和島静雄に竜ヶ峰帝人を取られて荒れている。いい気味ね。いいわ。迎えに行かなくて」 「冗談じゃねえよ」 低い声で言うと同時に、机の上にあった資料をなぎ払った。吹き飛ばされた紙やファイルが散乱する。波江の目が更に厳しくなったが、臨也にはどうでもよい。 「冗談じゃねえ。アイツに渡して堪るか」 吐き捨てるように行って、臨也はモッズコートを掴んで部屋から出て行った。遠くで乱暴にドアが閉められた音を聞いて、波江は舌打ちをした。 確かに、臨也は帝人を忘れてはいるが、彼が居ないことにイラついているのも確かだった。臨也はわからないだろうが、パソコンから時々視線を外して視線を彷徨わせる姿は、記憶を失う前の臨也が帝人を探す時の行動とまったく一緒だ。 帝人をわずらわしく思う一方、気になって仕方がないのだろう。 大体、無関心を装っている帝人にも、波江はイラついていた。 苦しいくせに、いつもと変わらない態度で、誰の心配も受け付けない強情な青年。 「こっちが冗談じゃないわよ」 波江も臨也同様、怒りに任せて思いっきりドアを閉めたのだった。 *** 門田の家に世話になって二日目。 せめてこれくらいはと食事の準備は帝人が請け負っていた。たいして上手いわけでもないのに、門田は帝人の料理を褒めてくれた。 つい、門田に甘えて、臨也の元へ帰ることが出来ないで居る。 少し気分転換にと買い物がてらでかけてみたが、一向に気分は晴れない。 (でも、これ以上延ばすと余計帰りにくいよなあ) むしろ、戻ったところで帝人の部屋はもうないかもしれない。 資料のことのメールで伝えたから、自分がいなくてもことは十分足りるはずだ。 正直、自分がどうしたいのかわからない。 臨也の傍にいたいけれど、怖い。ぐるぐるとめぐってしまい、結論が出ないのだ。 はあ、と救いを求めるように空を見上げる。 「・・・どうすればいいのかなあ」 当然、答えが返って来るはずもなく、帝人はぼんやりとしたまま歩いていた。余所見をしていたせいで、正面から人にぶつかってしまう。 「わ、すみません!」 相手は女の子だったか。 焦っているようで、返事もなく走っていった。 (あれ?) そこでようやく、帝人は周りの人々が自分と逆に走っていることに気が付いた。それはまるで何かから逃げているようだ。 その光景を、帝人はよく知っている。 反射的に、帝人は人が逃げてくる方向へと走り出した。 「で、ウチの助手はどこ?」 臨也の言葉に、静雄の顔にビキッと青筋が浮かぶ。 「知らねぇっつってんだろーが、臨也くんよぉ」 「ふうん?隠すんだ?」 「何度も言わせんな!ぶっ殺してやる!」 鈍い音と共に引き抜かれた道路標識を手に、臨也へと走り込む。臨也はそれを軽やかに交わして、ナイフを突き刺す。しかし、バーテン服を傷つけただけで、無傷の静雄はもう一度振りかぶった。しかし、臨也は攻撃を見こしてバックステップで静雄との距離を取り直す。 獣のように獰猛な目が、ギロリと臨也を見据える。 「てめぇ、竜ヶ峰に何かしやがったのか?」 「何かしたのはシズちゃんでしょ?どこに匿ってんの?それともまさか監禁?あーやだやだこわいこわい」 「んなことしねえ!」 「どうだかねー。なんか、竜ヶ峰君ってシズちゃんのお気に入りっぽいし」 「ああ、気に入ってるさ。アイツはてめえには勿体ねえ。つーかその「竜ヶ峰君」ってのはなんなんだよ」 「は?シズちゃんには関係ないでしょ」 「よおし、ぶっ殺す」 「あは、こっちのセリフ!」 互いの殺気がぶつかり合い、走り出そうとした時、件の助手の声が割って入ってきた。 「臨也さん!静雄さん!何してるんですか!」 「竜ヶ峰!」 ぱたぱたと走ってくる彼に、静雄がホッとした顔を見せる。 「お前、無事だったか?」 「え?何かあったんですか?」 「いや、ノミ蟲が竜ヶ峰を返せとかなんとか言ってきやがってよ。ついに愛想を尽かしたかと思ってたんだが、」 「あ!」 そこで帝人は真っ青になった。 そうだ、臨也には静雄のところへ行くといって別れたきりだった。 そろそろと臨也の顔色を窺うと、臨也の鋭い視線とぶつかって、ビクリと肩を揺らした。 「あの、すみません・・・」 「もういいよ」 冷たい声に、俯く。 ああ、切り捨てられる。報告すら全うできない助手なんか、彼は必要としない。 一緒にいたくないと自分で望んだのに、涙が出そうだ。 ぎゅっと、腕を強く掴まれて引き寄せられた。 驚いて顔を上げると、相変わらず不機嫌そうな臨也が背を向けて歩き出す。 「帰るよ」 「えっ、あの、」 「何?まだ遊び足りないわけ?いくら俺が寛大で優しい雇い主でもこれ以上は許さないよ」 「え、え?」 「オイ、ノミ蟲!竜ヶ峰が嫌がることすんじゃねーよ!」 「うるさいシズちゃん。嫌がってなんかないだろ?ねえ?竜ヶ峰君?」 「えっ!」 いきなり話を振られて目を白黒させていると、鋭くにらみつけられたので、帝人はこくこくと頷いた。 静雄は心配そうに眉を寄せる。 「お前、本当に大丈夫か?」 知ると、きっと臨也を殴りに来るから、静雄には臨也の記憶喪失のことは言っていない。 隠し事をしているという後ろめたさが、帝人に無理に笑顔を浮かべさせ「大丈夫ですよ」と言わせた。 「・・・。」 「わ、」 臨也がぐいと更に強く腕を引っ張ってきて前のめりになる。 遠くで静雄が「ノミ蟲!」と怒鳴る声が聴こえたので、帝人は大丈夫だと手を振って見せた。 その後、家に帰るまで、一言も会話はなかった。 そっと臨也を窺い見るが、彼は不機嫌な空気のまま。 これからどうなるのか。 (気まずいから波江さん居て欲しいんだけど・・・、) けれど、帰宅すると、彼女は居なかった。 しかも、資料が散乱しているという、中々ない状況だ。 臨也も波江もきちんと整理されていないと気がすまない性質らしく、こんなに荒らされていて、もしかして誰かが侵入してきたのかと、帝人は驚きの表情を見せた。 「・・・すみません、僕が居ない間に、侵入者でも・・・」 「・・・・それはどうでもいいだろ」 どこかバツが悪そうに乱暴に座る臨也に、首を傾げる。 (波江のやつ、片付けてかなかったな・・・) 臨也はごまかすようにため息を吐いて肩を竦めて見せた。 「それより、どこ行ってたの」 有無を言わせない声色に、帝人は素直に門田のところだと白状した。 臨也は表情を変えないで「どうして?」と促した。 「その、ええと、誘われたのでちょっとお邪魔をして・・・、」 「ふうん?仕事を放るほど重要だったのかな?」 「その、僕、一応学生なんで、課題もたまっていて、その、教わってたんです」 「道具なんて持ってってなかったけど?」 「ネット繋いでやってました」 「・・・・。」 しどろもどろになりながら言い訳をする帝人に、柘榴の目が細められる。 「・・・、ここでやればいいじゃない。俺の方が頭いいんだから教えてあげる」 「えっ、臨也さんがですか?」 驚く帝人に、臨也の品のよい眉が寄せられた。 「どういう意味」 「いえ、その、頭の良し悪しがどうのと言ってるんじゃなくて、えっと、臨也さんが教えてくれるんですか?」 「何?不満?」 「そんなことありません」 ふるふると首を振って否定する帝人に、臨也が当然だとフンと鼻を鳴らした。 「それから、今後、外出する時は行く先をちゃんと伝えるように」 臨也の言葉に、帝人はバツが悪そうに「はい」と頷いた。 散乱した資料を片付けながら、門田に連絡するのを思い出し、携帯電話を取り出した。 突然帰ってきてしまったから、門田の予定も崩してしまっただろう。申し訳ない気持ちで謝罪のメールを打つ。 (でも、臨也さんはどうして僕を連れ戻す気になったんだろ) たぶん、いつもの臨也なら来るもの拒まず、去るもの追わずのはずだ。 もしかして、と、自分の都合のいいことを考えて、すぐにそれを否定した。 (きっと、僕が知ってる情報が漏れるのを恐れたのかも) 現在、帝人が把握しているのは、金額にすれば相当なものになるはずだ。何より、流出することによって臨也を危うい立場へと立たせる可能性もある。 (助手は辞めにくいかあ) 小さくため息を吐いてファイルを拾っていると、ドアが開いて「あら、」と声が聞こえた。 顔を上げると、波江が立っていた。 「戻ってきたのね。ついに嫌になってでてったかと思ったわ」 「あはは、いえ、そんなことは」 曖昧に 笑って、波江に頭を下げる。 「ご迷惑をお掛けしてすみません」 「本当よ。あいつが荒れてしょうがなかったわ」 「あはは、」 それはそうだ。帝人の行動ひとつで莫大な情報が動くことになってしまうのだ。気が気ではないだろう。 「信頼がないのはわかってるんですけどねえ」 そう言って苦笑する帝人に、波江は呆れたようにため息をついた。 「ホント、貴方たちはどうしようもないわね」 「え、ええ・・・」 反応に困ったように眉尻を下げる帝人は、とりあえず機嫌をとるように「お茶、飲みます?」と勧めてみた。波江はそれがお気に召さなかったようで、帝人の頭を手に持っていたファイルで叩いた後、さっさと出て行ってしまった。 (うーん、波江さんはやっぱ難しいなあ・・・) 波江が自分に好意的ではないという強い先入観のせいで、帝人自身が複雑にしていることは、素直になれない波江にとっても実に可哀想なことであったのだった。 [続く] ********************************************************** 空回りするちょっとかわいそうな波江さん。2011/02/06 ブラウザバックでお願いします。 |