俺の知らない君02






その知らせは大学の講義中にあった。
ポケットの中で震えた携帯電話をこっそりと覗くと、相手は臨也の高校以来の友人の岸谷新羅であった。彼からの連絡は珍しい。帝人はなるべく目立たないように講義室を抜け出す。
廊下に出たところで「もしもし、」と出た。

『帝人君、今学校かい?』
「ええ、そうですけど、どうかしましたか?」
『今からウチに来られないかい?臨也が事故に遭った』
「臨也さんが・・・!?」

携帯電話を握った手が震える。
新羅はそれを察しているようで「落ち着いて」と言葉を掛けた。

『命には別状はないんだ。けど、頭を打ったみたいで混乱してるんだ』
「そう、ですか」

新羅の言葉に少しだけホッと息をつく。それから、「今から行きます」と言った。

『講義は大丈夫かい?』
「この後はありませんから」

そう言って挨拶もそこそこに電話を切る。それからすぐに構内を駆けていく。
(ああもう、何してるんですか臨也さん!)
悪態をつきながらも、帝人は必死で新羅の家へ向かう。電車に乗るのももどかしく、結局タクシーを捕まえて彼のマンションへと移動した。

「やあ、早かったね」

新羅に迎えられ、足早に中へと入る。

「今セルティは外出してるんだ。ケーキ買ってきてくれるって言ってたからゆっくりしておいで」
「すみません、ご迷惑をお掛けして」
「いいや、気にしないで。臨也の迷惑はいつものことだし。しかもさー、臨也ったら珍しく人助けしたらしくてね」
「人助け?」
「うん。交差点で暴走車から人を庇ったらしいよ。しかも、来良の学生だってさ。短髪の男子学生」
「・・・」

その言葉に、帝人の眉が僅かに寄せられる。黙り込んだ帝人に、新羅が僅かに笑う。

「愛されてるねえ」
「・・・それで怪我を負われたら堪りませんよ」
「はは、臨也も愛されてるねえ」
「茶化さないで下さい」

もう、と文句を言う帝人に笑いながら新羅はドアを開ける。

「臨也、帝人君が来てくれたよ」

そう言った新羅のあとをついて室内に入ると、臨也はベッドの上で半身を起こした状態で小型のノートパソコンを弄っていた。
その形のよい頭に巻かれた包帯が痛々しい。
帝人が「大丈夫ですか?」と声を掛けると、臨也はその柘榴色の目を不審げに細めた。

「君、誰?」
「え?」

臨也の言葉に帝人の瞳が零れんばかりに見開かれる。

「何言ってるんだい?君の大切な帝人君じゃないか。痴呆には早すぎるよ」
「は?ミカド君?初めて見る子だけど?」
「竜ヶ峰帝人君。聞き覚えない?」
「何?エアコンみたいな名前だね」

初めて会った時と同じ言葉に、帝人は目を瞬いた。ほら、やっぱりからかっているだけだ。しかし、帝人の期待は見事に裏切られた。

「そんなに珍しい名前なら覚えてるはずだけど」
「・・・初耳だって言うのかい?」
「だからさっきから言ってるだろ」
「え、あの、冗談ですよね?」

帝人が縋るように臨也を見つめると、柘榴色の目は苛立たしげに細められた。

「新羅、信者の子は入れるなって言ってるだろ」
「君、本気で言ってるのかい?」
「何?しつこいんだけど?」

臨也の様子と、呆然としている帝人を交互に見て、新羅は帝人に部屋を出るよう促す。

「ごめん、帝人君、少し席を外してもらっていいかな」
「・・・は、い」

こくりとぎこちなく頷いてから、帝人は部屋を出て行った。
新羅は完全にドアが閉まったのを確認してから、眉を寄せて、大きくため息をついた。

「珍しいな。お前が首なし以外に気を使うなんて」

茶化してくる臨也に、新羅は肩を竦める。

「君の今の状態の方がよっぽど珍しいよ」
「何?意味わかんないんだけど」

自分が知らないことがあるというのが、臨也にとって苛立ちに繋がるらしい。最近はすべてが帝人に注がれていたため、その嫌な性質は鳴りを潜めていたが、すっかり元に戻っていることを、この短いやり取りの中で新羅は感じ取った。

「あーもう、冗談じゃないよ」


また、めんどくさい日常が始まるのかと思うと、新羅はぞっとしたのだった。




***




「記憶喪失?」

セルティが戻ってきたところで、新羅はリビングで話を始めた。帝人の言葉に、新羅が頷く。

「ま、すべてを忘れたわけじゃないから、正確に言うと、『記憶欠如』なんだけどね」
『そ、それで、臨也は帝人のことを忘れてしまったのか!?』
「うん。帝人君のことだけ綺麗さっぱりね」
「・・・・。」

新羅が予想していた通り、帝人は取り乱すことはなく、冷静に新羅の話を聞いていた。恐らく、この僅かな時間の間に気持ちの整理をしたのだろう。しかし、やはりその顔色は悪い。先程からセルティも帝人を気遣って『大丈夫か?』と背を擦っている。悋気しないわけではないが、少年とも見紛う青年の消沈した姿に、新羅も何も感じないわけじゃない。

『いつ思い出すんだ?』
「一時的なものの可能性もあるけど、このまま一生思い出さない可能性もないわけじゃないよ」
『そんな・・・!』

帝人の肩が僅かに震える。

『そんなの帝人が可哀想じゃないか!どうにかならないのか!?』
「残念ながら僕にはどうにも出来ないよ」
「・・・。」

(だったら、僕はあの家から出て行ったほうがいいのかな)
形はどうあれ、いつかは臨也と離れる時が来ると覚悟をしていたから、帝人はぽつりとそんな素っ気無い事を考えていた。
いつまでも、あんな雲の上の人、しかも男同士で、ずっと傍にいられるはずがないんだ。

その様子をジッと見いた新羅が険しい表情で口を開く。



「ねえ、帝人君、辛いというのはわかっているんだけど、しばらくあいつの面倒見てやってくれないかな」
「僕が、ですか?」

帝人の表情がこわばる。
セルティも新羅に何を言っているんだと胸倉に掴みかかった。

『今一番辛いのは帝人なんだぞ!?どうしてそんな酷いことを言うんだ!』
「お、おちついて、セルティ、それはわかってるんだけど、中二病に戻ったアイツを抑えられるのは帝人君しかいないだろ?」
『しかしだな!』

言い争う二人を見つめていた帝人だったが、やがてこくりと頷いた。

「構いませんよ」
『帝人?!』
「でも、臨也さんが許してくれるかどうか」
「それは大丈夫。僕がさっき君の事を説明した。君の助手だよってね」
『帝人のこと、思い出しそうか?何か言ってなかったか?』
「いや、「そう」って言って話を聴いてただけだよ。まあ、あいつも俺が本当のことを言っていることくらいわかってるだろうから。君の居場所は変わらず臨也の家さ」
「ありがとうございます」

自分を覚えていない臨也とは、全くの接点がないのだ。自分が一方的に臨也を知っているだけ。新羅の作ってくれた機会は実際ありがたいと思う。
帝人がぺこりと頭を下げると、新羅は「こちらこそ」と苦笑した。

『帝人、本当にいいのか?』

心配性な心優しい妖精が、再度帝人に訊ねる。

きっと、これから辛くなる。
以前の臨也はやりたい放題でいろんな女性と関係を持っていた。あの時は恋人でもなかったし、警戒しなければならない人物としか見ていなかったから、唯モテるなあとしか感じていなかった。しかし、彼に想いを抱きながらそれを、横で見続けなければならなくなるのだ。




***




(でも、結局離れられなくて、自分はここに居る)

帝人は、彼が記憶喪失になった時の事を思い出しながら、依頼人と話す彼を少し離れたところから眺めていた。
臨也の顔に浮かぶのは外向け用の好青年の笑顔。相手の女性もまんざらではなさそうだ。
恋人が綺麗な女性と談笑していて、辛いわけがない。しかし、恋人であった記憶を失った彼を責められようか。帝人は彼らにばれないように、そっと胸につかえた息を吐き出す。
ふと、彼の柘榴の瞳がこちらを見て、僅かに瞠目する。
けれど、彼の次の言葉で、更に帝人は消沈した。

「竜ヶ峰君、ちょっと出かけてくるから」
「はい。わかりました」

立ち上がった二人を玄関まで見送る。
彼女の肩を抱く臨也の腕。帝人はなるべく無感情を装う。
(この人は違う。僕の好きな人じゃない)
そう言い聞かせるけれど、胸の痛みは取れなかった。

「ああ、そうだ。昨日の依頼の件なんだけど、」
「大丈夫ですよ。今日中に連絡しておきます」
「さすがだね。童顔に似合わず仕事が速い」
「顔と何が関係あるんですか。そんなことより先週のDVD屋の資料をさっさと渡してください」
「そうだったね。どうでも良すぎて忘れてた。調べといてよ」
「僕が大学生だって忘れてません?」
「君は優秀だからね。ついつい甘えたくなるんだよ」
「おだてても木に登りませんよ」
「つれないなあ、竜ヶ峰君は」

帝人はそっと目を伏せて「ほら、呼ばれてますよ」と彼を促す。彼は次の瞬間、自分の存在など忘れたように彼女へと甘い声を掛けた。
そんな見慣れた様子を、帝人は酷く冷たい気持ちで見送る。

彼に、「竜ヶ峰君」と呼ばれる度に、ぎゅっと胸を締め付けられる。以前の臨也には初めて会った時でさえ、「帝人君」と呼ばれていたのに。
(すっかり他人になっちゃったなあ)
そんなに簡単に忘れられるほど、自分はどうでもよかったのだろうか。たいしたことない存在だったのだろうか。
まさか、これも臨也の人間観察の一環なのだろうか。

「本当、悪趣味なんだから・・・」

付き合わされる方の身にもなって下さいよ、と呟かれた言葉は、誰にも拾われず、広い部屋に溶ける。
帝人はしばらく、『今日は帰らない』と送られてきたメールを指でなぞっていた。



[続く]

**********************************************************
頑張って平静を装う帝人萌えです。2011/02/06

ブラウザバックでお願いします。