俺の知らない君01 |
カタカタとキーボードを打つ音が響く。 新宿の情報屋こと、折原臨也は小一時間前からパソコンと向かい合っていた。 そのしなやかな指が素早くキーを叩く様、液晶をジッと見つめる深紅の瞳は美しく、白と黒を基調にしたシンプルな部屋もあいまって、まるでドラマの撮影をしている俳優のような印象を受けた。 「臨也さん、コーヒー入りました」 出会ってから数年経つと言うのに、相変わらず少年らしい幼げな声とともにそっと近寄ってきたのは、助手兼恋人の竜ヶ峰帝人である。 臨也が「ありがとう」と目元を和らげて礼を言うと、帝人は「いいえ」と少し頬を染めてごまかすように目を逸らした。いつまで経っても初々しい彼の反応に、臨也の口元が緩む。 帝人は高校を卒業してから、臨也に攫われるようにこの住まいへと引越しをした。 現在、大学生と臨也の助手という二足の草鞋を履いている。 臨也と帝人が付き合い始めたのは帝人が高校二年の冬だった。 最初は臨也が意外性抜群の帝人をより近くで観察するために告白して付き合い始めた。帝人も彼の性格と所業を知っていて、彼の情報を目的として臨也の茶番に付き合っていたのだから、お互い様だろう。 しかし、知れば知るほど帝人にのめり込み、静雄との喧嘩で帝人が臨也を庇ったことで、臨也は帝人に惹かれている自分を自覚した。一個体を愛するなど、プライドが許さず、帝人を沢山傷つけて遠ざけようとした。しかし、離れれば苦しくなり、その隣に誰かがいれば殺してやりたくなった。ついに、観念した臨也が、改めて帝人に告白をし、それを帝人も受け入れて、今に至る。 帝人を愛していると言う事実を受け入れた臨也は更にめんどくさい人間となり、四六時中帝人にべたべたしている。可愛い可愛いと猫かわいがりするさまは、セルティを溺愛している新羅を髣髴とさせる。しかし、そのことを言うと、互いに「失礼なことを言うな」と言うのだから、やはり友人だなとしみじみと感じるのであった。 帝人という愛しい存在を得たお陰で、臨也の悪趣味な人間観察は彼らの交際と共に幕を閉じた。 しかし、そのすべては帝人へと向いてしまい、人々の平穏と引き換えに、臨也の様々な感情を一身に受けることになった。中でも、他人と、特に彼の天敵の平和島静雄と接触した時の嫉妬と言ったら。怒りに任せて乱暴されたかと思えば、「シズちゃんの方がいいの?」と泣きそうな顔ですがってきたりもする。 まったく、大変な役を受けてしまったと苦笑するが、帝人は苦には全く感じていなかった。結局は惚れた弱みなのであろう。 帝人は、臨也のように露骨には表現しないが、彼との関係に幸せを感じていた。 「もう少しで終わるからね」 そしたら買い物行こう?と言う臨也に、帝人は笑顔で頷く。 これから夕食の買出しに行く約束をしていたのだ。今日は寒いのでビーフシチューの予定だ。臨也はほっそりとした体型に似合わず、意外と肉食なのである。大きな肉が入っていないと少し物足りなさそうにしている。好きな人には好きなものを食べて欲しい。そのため、折原家の食卓には肉が並ぶことが多かった。勿論、その分野菜もしっかりとらせる。 あまり野菜が得意でない臨也のためになんとか食べさせようと工夫するのが、帝人の仕事でもあった。勿論、帝人を溺愛してならない臨也が帝人の手料理を残すわけがないのだが、帝人もせっかくなら、美味しく食べて欲しかった。 偶に波江も誘って一緒に夕食を取ったりしている。最初は出会いが出会いだったため、波江とは冷たい空気が流れていたが、助手同士仲良くしたいと言う帝人の歩み寄りが成功したのか、多少は波江と仲良くなれた気がする。まあ、「デザート作って」とか「お茶入れて」とかが殆んどの会話だから、ただ使われているだけかもしれない。しかし、それでも帝人は嬉しかった。 臨也はそんな様子を見て「浮気だ」と騒ぎ立てることが多かったが、帝人が少し恥ずかしいのを我慢してキスしてあげれば、あっけなさ過ぎてかえって不審なほど、彼の機嫌はすぐに直った。 情報屋としてのサポートよりも、帝人の助手としての仕事はもっぱら臨也の機嫌取りである。 そのためか、池袋の面々には「助かっている」と口々にお礼を言われている。今までどれだけ臨也が町を引っ掻き回してきたか。帝人は言われる度にハハ、と苦笑いするしかなかったのだった。 考え事をしていると、タイピング音がいつまで経っても聞こえてこないことに気が付き、臨也を見やると、その柘榴の瞳がじっとこちらを見つめていた。 ずいぶんと長く共に過ごしているけれど、彼の綺麗な顔にいまだ慣れない帝人は、その真っ直ぐな瞳にさっと頬を染めた。 「な、なんですか?」 「んー、ねえ、すこーし帝人君分けてくれたら、俺、すっごいがんばれそうなんだけど」 「はあ?何言ってんですか」 意味わからないですと素気無く言うが、帝人は耳まで真っ赤だ。彼に正確に伝わっていることがバレバレである。 「ねえ?だめ?」 小首を傾げて、下手(したて)に出られてたら帝人に勝ち目はない。観念した帝人は少し目を泳がせながら「ちょっとだけですよ」とぽてぽてと歩みを進めた。座っている臨也が「ん、」と目を閉じる。まるで、俳優のように整った顔。今でも帝人は本当にこんな綺麗な人が自分の恋人なのかと信じられない気持ちになる。自分じゃつりあわない。 (いつか、飽きられたりするのかなあ) そう考えると胸が痛い。 「帝人君?」 目を閉じたまま問いかけてくる臨也に、帝人ははっとして、「なんでもないです」と答えた。それから、意を決して目を瞑りそっと唇を寄せる。 彼が合わせるだけのそれでは満足しないことは、重々承知している帝人である。教えられたように臨也の薄い唇を少しだけ食むと、小さく口が開けられる。口づけを深くし、小さな舌を躊躇いがちにそっと入れる。恐る恐るビロードのような舌に触れると、今まで静かだった臨也が急に帝人に絡みつく。 「ん、むっ」 驚いて引っ込められそうになる帝人の舌をじゅ、と強く吸って逃がさないように引き寄せる。乱暴に口内を暴かれ、帝人が目を開けると、いつの間にか臨也の柘榴の瞳がこちらを面白そうに見つめていた。その赤に浮かぶ欲を見つけ、帝人は腰が引けるが、それを見越していたように抱き寄せられ、臨也の膝の上に乗せられる。 「ふ、・・・いざやさ・・・っあ」 「んー、良い声。帝人君はエロエロだね」 「ひゃう」 そろりと腰を撫でられて、思わず情けない声が上がる。もう一度ちゅ、とリップ音を立ててから、帝人の背中に手を回し、帝人はされるがままに臨也の肩口に頭を預けた。 「帝人君のビーフシチュー大好きだけど、やっぱ今日は出前にしようか」 「んっ、」 ボトム越しに感じる臨也の熱が一度だけ大きく突き上げられ、帝人の可愛らしい唇から甘い声が漏れる。ぺろりと舌舐めずりをしてから、早くもふらふらの帝人を横抱きにしてソファにそっと下ろす。 「もう少し待っててね」 軽いキスを唇に落とすと、追うように帝人も口づけをしてくる。少しだけ丸くなった柘榴色の瞳を熱っぽく見上げながら「早くしてくださいね」と微笑んだ。 帝人はあまり自らアクションを起こさない。そんな可愛らしい恋人のおねだりに答えるべく、臨也はにやりと肉食獣を彷彿とする荒々しい笑みを浮かべてから「五分待ってな」と足取りも荒く席へと戻った。 帝人は返事もおざなりで、再び彼がパソコンに向かう姿をぼんやりと見つめた。 黙っていればかっこいい、猫を被っていればかっこいい、本性を出すと・・・かなり残念。けれど、すべてをひっくるめて、帝人には臨也はもったいないと思っていた。 自分みたいな平凡な男で、彼が満足するとは思えない。女性のように綺麗でも、柔らかくもない。しかし、再度告白されてからは、臨也は一切浮気をしていないし、帝人に実に甘くなっている。 本当にいいのだろうか。自信がない。 そんな風に、一度、セルティ宅でほろ酔い気分になった時にもらしてしまった。しかし、招かれた面々は皆が何を言っているんだと呆れたように首を振った。 「帝人君、そりゃ騙されかけてるね」 『帝人、あいつはそんな帝人が遠慮するような出来た人間じゃないぞ』 「むしろあの人に竜ヶ峰君が勿体無いよ!」 「というか、よく付き合ってられるな」 高校時代の同級生の誠二などが感心したように言う中、皆が一様にして帝人を擁護した。帝人は戸惑って首を傾げるばかりだ。 「竜ヶ峰、別れる気になったか?」 「わっ、し、静雄さん!」 わしゃわしゃと頭を乱暴に撫でてくるのは、臨也の宿敵とも言える間柄の平和島静雄だ。高校時代からの因縁で、その痩躯からは想像できない力で道路標識を引っこ抜き、自動販売機を投げつけ、自動車をサッカーボールのように蹴り転がす、まごうことなき池袋最強の男なのである。そして、非日常を愛する帝人の憧れでもある。 彼は臨也と帝人が付き合うようになってから、帝人と顔を合わせる度に「別れろ」と口にしてきた。しかし、いくら憧れの静雄の言葉でもきけない。 帝人は少し酔っている静雄を苦笑して見上げた。 「なりませんよ」 「んでだよ。お前、そろそろ蟲臭ぇのがうつっちまうぞ。大丈夫か?」 すんすんと鼻を近づけられて、目を丸くする。帝人には犬がじゃれついているように感じられたが、周りからは恋人のそれに見えたらしい。 狩沢がキャーと叫び、カメラと携帯電話を取り出した。 「ちょww略奪愛wwやるねシズちゃん!!イザイザとの戦争再び!」 「おいおいおい、洒落になんねぇから止めてくれ・・・」 大きくため息をついたのはワゴン組みの兄貴分、門田だ。火種になりかねないので狩沢からカメラと携帯を没収して消去する。 臨也は帝人という恋人が出来たことで、ようやく落ち着きを見せ始めたのだ。静雄との喧嘩も随分少なくなってきたところに、そんな大きな爆弾は要らない。 しかし、当の帝人はくすくすと笑うばかりだ。 「何を言ってるんですか」 「竜ヶ峰ー。別れろー」 「静雄さん、娘もちのお父さんみたいになってますよ」 「そしたら竜ヶ峰子か。いいぞ。悪かねぇ」 「いえ、それ苗字ですから。名前は帝人ですよ」 「そうか。帝人子な」 「みかどこってごろが悪いですねえ。糠床みたいです。静雄さんは女の子は「子」がついている方が好きなんですか?」 平然とやりとりしている帝人と静雄に、一同も毒気を抜かれる。 帝人もそれを知っていてわざと間の抜けた空気を作っていた。非日常は愛するが、恋人や友人たちの間が悪くなるのは望むところではない。とは言っても、元々あまり良いものとも言いがたいが、と、内心苦笑する。 ずっと続くとは思っていないが、しばらくこの甘ったるい中を過ごしたいと思っていた。いつか、臨也の手を離さなければならなくなる時まで。 けれど、その時は案外、近い日にやってきた。 ゆっくりと瞼が持ち上がり、深い青の瞳が現れる。 懐かしい夢を見ていた。それほど昔ではないけれど、彼と通じ合っていた、懐かしい頃。 もう、二度と来ないかもしれない。そう思うとじわりと目頭が熱くなる。 「竜ヶ峰君、そろそろ依頼人来るから」 コンコンとノックと共に聴こえた臨也の声に、小さく咳払いをしてから「はい」と答えた。 折原臨也が事故に遭って、竜ヶ峰帝人のことだけを忘れてから、一ヶ月が経っていた。 [続く] ********************************************************** 臨也さんの記憶喪失話です。叩いてやりたい!(…)2011/02/06 ブラウザバックでお願いします。 |